米国人驚愕「子が親の介護する日本」深刻な盲点 「家の時代」から「個人の時代」へシフト
「確かに、子どもは親を扶養する義務が民法に定められていると思います。でも、そんなに細かくきっちりとした定めではありません。これって、法律上の義務というよりは道義的な義務ではないでしょうか。
確かに、親子関係はさまざまです。親の面倒をみろとすべての子どもに押しつけることはできないかもしれない。ただ、日本では、一般的には、自分を育ててくれた親が年老いて介護を必要とすれば、子どもが面倒をみることになります」
バーソレッテ教授は、目を見開いたまま黙り込んでしまう。しばしの沈黙の後、彼女は再び口を開く。
「日本と比べると、アメリカは年寄りに冷たい国だわ。私もね、年寄りの部類に入るようになって心からそう思うのよ。大統領候補者はこぞって若作りをする。健康不安を心配するよりも批判の対象にする。
子どもたちは、年老いた両親を養うことはしない。老後に備えて、私たちは自分でお金を貯めておかないといけないの。この若い国は、この国を必死に支えて、そして、老いていった人たちをいたわろうとはしてこなかったわ」
ここにおそらく、アメリカの「家族」と日本の「家」の決定的な違いがある。
日本の「家」は会社だった
「江戸時代までの日本の『家』っていうのはね、これは、会社なのよ」
日本に戻った私は、東京大学の博士課程で家族法の勉強を継続した。そのときに、家族法の大家である教授が、日本の「家」の本質をそう端的に表現した。江戸時代の武家制度のなかで確立した日本の「家」というのは、家の財産をバラバラにせずに、次の世代に、その次の世代に、脈々と伝えていくための装置なのだという。
江戸時代の家は、武士であれ町人であれ、「家業」を持っていた。浅草の老舗のお煎餅屋さんを想像してほしい。祖父の代から頑固一徹で守ってきた秘伝のたれをしみこませながら、煎餅を焼く。この技法が評判になり、今ではかなり遠くからも煎餅を買い求める人が引きも切らない。
だが、足腰も弱りはじめた三代目は隠居することを考えていた。子どもは長男、次男、そして、長女がいて、全員がお店で働いている。のれんという信用、そして、煎餅づくりのノウハウという無形資産があってこそ、お煎餅屋さんは価値を持つ。
だから、お店の土地とか建物とか、はたまた煎餅を焼く機器なんかの有形資産をバラバラにして、子どもたちに受け継がせても意味がないのだ。