米国人驚愕「子が親の介護する日本」深刻な盲点 「家の時代」から「個人の時代」へシフト

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長女は、家業につながりのある家にお嫁に行くだろう。次男には、後々、のれん分けをしてあげるかもしれない。ここは、とりあえず長男にお店を丸ごと継いでもらうことにしよう。

こうやって、浅草の老舗のお煎餅屋さんは、世代に1人と跡継ぎを定めて、祖父から父へ、そして、父から息子の代へと事業を丸ごと受け継がせる。日本の「家」というのは、もともとそういうものだったらしい。そう考えるとこれは家族経営の中小企業とおんなじだ。

家族法の大家である教授は、私たちにこう諭す。

「江戸時代まで、日本には『相続』なんて考え方はなかったのよ。『相続』というのはね、個人を単位に財産を管理する方法なの。個人が亡くなると財産の帰属主体が消滅する。それで、その時点の財産をすべてお金に換算して、それを相続人に平等に分配しましょうという考え方でしょう」

「じゃあ、江戸時代の日本では、おじいさんが亡くなったら財産をどうやって分けるんですか?」

「分けたりしないのよ。江戸時代までの日本の相続は、今でいう会社の『事業承継』と同じ。財産の帰属主体は個人じゃないの。家なのよ。だから、社長を交代するように家長を交代して、世代を超えて家の財産を引き継いでいく。

個人が亡くなるたびに、財産の帰属主体が消滅して、財産を清算してっていう考え方はとっていなかったの。個人が亡くなってもなお、家は連綿と残っていくものなのよ」

アメリカの「家族」は点である。子どもが成人すれば、親の家族とは別個の個人となり、やがて新しい家族を作っていく。

もちろん、点在する家族と家族の間には精神的な交流がある。クリスマスには、子どもが孫たちを連れて、懐かしい両親の家に帰るだろう。ただし、親の家族と子どもの家族ははっきりと区切られている。両者は経済的には完全に独立した主体なのだ。

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