妻の願いは「ブランド品より夫の19時帰宅」 幼稚舎から慶応…"お坊ちゃん育ち"の夫が激変!

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当時、浩二さんはコンサルタントで年収は650万円、同じ会社の人事部で働く洋子さんの年収は400万円だった。客観的に見れば正真正銘の共稼ぎ夫婦。ただし家計管理の方法は主婦家庭と同じく、夫の収入をすべて妻に渡して妻が管理、夫はお小遣い制だった。「俺が稼いでいる」と考える夫と「私も働いている」と考える妻の話し合いは並行線をたどるばかりだった。

要求を突き付け、けんかをするだけでなく、洋子さんは論理的に考え、行動した。たとえば、夫の仕事内容を把握すること。実は浩二さんが入社した際、洋子さんは人事担当として研修などにかかわっていた。「今、どんな仕事をしているの?」「提案資料を見せて」といった具合に疑問点をひとつずつ、潰していった。何とパワーポイントの作り方まで、アドバイスしたという。

離婚危機、そして上司の死……

しかし洋子さんにとっていちばんの武器は、「彼の目指すものはわかっていた」ということ。夫婦は結婚前に理想の家庭像についてよく話し合っていたのだ。

2人とも、自分の父親は仕事で忙しかった。もっと父とかかわりたかった、特に進路について話をしたかった、という思いから「父親の存在感がある家庭」を作ろう、と決めていた。5歳まで海外で育った浩二さんの趣味を理解していたので、欧米の父親に関する記事を見せたりしたそうだ。

もともと「イクメン」に肯定的なイメージを持っており、「自分もイクメンと思われたかった」浩二さんは、その後とあるイクメンフェスティバルに応募し、見事に入賞している。ただ、この時期は洋子さんに言わせれば「トロフィーチャイルド期。子どもは自分をカッコよく見せるための飾りみたいな感じでしたね……」。

それでもこの頃から、浩二さんは大きく変わり始めた。それにはいくつかの理由がある。

「今までよく離婚しないでいてくれているな、と思います」

実はこれが、取材で初めてお会いした際、浩二さんから聞いた第一声である。そして「彼女と結婚するまでは、そして結婚しても、まだ周りの目が気になっていました。外からどんな夫婦に見えるか、そんなことばっかり。子どもができたことがきっかけで、そんな僕に対する妻の教育が始まった。最初のうちは、僕がそれを受け入れられずに逃げていたのだと思います」。

第1子が生まれた後も飲み会に行き続けていた頃、ひとつ、決してやってはいけないことをしてしまった。それを「妻は許してはいないと思うけれど、離婚はせずにいてくれた」。そのことがきっかけで「これまでの自分の考え方はダメだと思った。妻の信頼を取り戻すためにどうしたらいいか、真剣に考えるようになりました」。

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