トヨタ「学校推薦廃止」が象徴する制度の形骸化 理系の"特権"、6割の学生は「なくても困らない」

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今回の原稿を書くにあたり、理系就職の歴史を調べてみた。明治政府は近代化のために殖産興業を目指した。そのために理系人材が重用された。天野郁夫『高等教育の時代(下) 』第9章「就職難と学歴主義の時代」に昭和元年の初任給が表示されており、医学部と工学部が最も高い(三菱財閥系企業では帝国大学の医学部と工学部が90円、法学部と文学部80円、早稲田と慶応75円、中央・明治・法政は65~70円)。

理系偏重の初任給は戦後に改められて文理はほぼ同一になったが、理工学部と産業界との緊密な関係は続いていく。隠岐さや香『文系と理系はなぜ分かれたのか』には次のように書かれている。

「日本などはよくも悪くも、基礎研究の水準が充分ではない代わりに、とりわけ工学部を中心に大学と企業の間に交流がありました。狙ってそうなったというよりは、自然発生的に、かつてのコネ社会的なものも混じってそうだったわけです(大学の理工系教授が企業に就職推薦枠を持つことが当たり前の時代でした)。」――第3章「産業界と文系・理系」・「儲かる理工系」の実現化――Innovation政策2.0より

こういう大学と企業をつなぐ人的ネットワークが日本の技術力の源泉になり、さまざまな産業分野で世界一の座を勝ち得たのだろう。

長く続いた企業と大学の蜜月は30年近く前に終わっている。鉄鋼、造船、家電、半導体などの産業が№1と賞讃された時代を知る人は次第に少なくなりつつある。

いまでも形式的な推薦はあるが、効力は薄れている。推薦を出さない教官に理由を聞くと、「推薦を出しても学生が採用されるとは限らないから」と不快感を示す。別の教官は、「ある企業から『推薦を出してほしい』と言われ、10人の学生を推薦したら1人しか採用されなかったという事例がある。これでは推薦の意味がない」と話す。

「後付け推薦」という奇妙な推薦も2010年代半ばあたりから増えてきた。これは学生の内定辞退を防ぐ目的で、内定の条件として推薦を求めるというものだ。

信義則を失った推薦制度

かつての推薦には信義則があった。推薦されれば企業はその学生をほぼ採用したし、入社後に出身研究室に派遣する事例も多かった。そんな時代の名残が今も残っており、ほとんどの大学で「推薦によって内定したら、必ずその企業に就職するように」と指導し、学生の心理的バイアスになっている。

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「後付け推薦」はこういう現在の推薦制度を悪用しているのではないかと思う。推薦制度は信義則を前提に成立した。現在の推薦制度に信義則は希薄であり、推薦しても企業が採用するかどうかはわからない。そうした関係のなかで学生を選別して、束縛するため(辞退されないため)に後付け推薦を求めている。

こういう企業の行動も学生の推薦利用をためらわせる要因だ。今回のコメントにも「推薦枠を利用するメリットとデメリット」という表記があるが、メリットは内定獲得の有利さ、デメリットは内定後に断れない不自由さ、同時に複数の企業への応募ができないこととあった。

有利さと不自由さのどちらが重いのだろうか? 推薦制度はどうなるのか? トヨタの推薦廃止があっても、短期に他企業にも広がり、推薦制度がなくなるとは思えない。合理的な根拠がなくなっても慣習は残るものだ。しかし、今回の学生アンケートを読むと、多少の有利さよりも自由を選択する学生が増えているように思う。

佃 光博 HR総研ライター

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つくだ みつひろ / Mitsuhiro Tsukuda

編集プロダクション ビー・イー・シー代表取締役。HR総研(ProFuture)ライター。早稲田大学文学部卒。新聞社、出版社勤務を経て、1981年文化放送ブレーンに入社。技術系採用メディア「ELAN」創刊、編集長。1984年同社退社。 多くの採用ツール、ホームページ製作を手がけ、とくに理系メディアを得意とする。

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