気仙沼「この10年」生き抜いてきた人々の大奮闘 地域商売の正念場、好機と逸機にどう向かうか

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「港近くの銭湯がなくなり、漁師さんも不自由していました。船上生活を終えて陸地に戻ったら、ゆっくり浴槽につかりたい。港のそばに気軽に入れる入浴施設が必要だったのです。大規模な施設は難しくて、トレーラーハウスにしました。いちばん苦労したのはお金ですね」

必要資金は3000万円。1000万円は気仙沼市が助成金を捻出し、1400万円は地元事業者や市民の寄付。残りの600万円をクラウドファンディングで集め、開業にこぎつけた。

「鶴亀食堂」の店内には、船員さんを包み込むようなディスプレーも(筆者撮影)
「鶴亀食堂」の朝食。この日は「タラのフライ定食」(550円)もあった(筆者撮影)
建物の裏には、漁師さんへの思いも掲げられている(筆者撮影)

「地者」も「余所者」も一体で復興を続ける

今回、3回にわたって気仙沼の今を届けてきた(「気仙沼 男山本店の再建に見た復興10年の重み」2021年2月17日配信、「気仙沼で復活を遂げたカフェ『復興10年』の奮闘」2月24日配信)。そして、一貫して中小企業や中小商店の事例を紹介してきた。大企業とは違い、人も金も限られた企業や商店の奮闘ぶりに焦点を当てたかったからだ。

4年ぶりに当地を訪れ、印象に残ったことを記しておきたい。

まずは震災への思いだ。何人もの人から「家族や友人とは震災の話はしない」と聞いた。

「毎日の生活の中で、当時のことを思い出すのはストレスなので、なかったことにしておきたい。ただ、メディアの人に話すのは別です。気仙沼で起きたことを伝えてほしいですし、話すことで自分たちの取り組みや考えも整理されるのです」(石渡商店の石渡氏)

もう1つ思い起こしたのが「地者も余所者(よそもの)も一体化」だ。もともとは大分県・由布院のまちづくりの立役者である中谷健太郎氏(亀の井別荘相談役)の言葉だ。震災後の気仙沼に支援などで来訪し、やがて移住して活躍する若い世代が多いのに気がついた。

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