震災10年「使命果たせなかった放送局」後悔と今 データから浮かび上がる災害報道に必要なこと
震災報道を客観的に記述することが可能に
東日本大震災から10年が経とうとしている。言うまでもなく、東日本大震災は巨大地震と巨大津波、そして福島第一原発事故という原子力災害が重なる、日本が、いや世界が経験したことのない前代未聞の複合災害である。当時、災害報道のど真ん中にいた私自身も、その後の人生が変わってしまうほどの経験をしたこの複合災害は、テレビ、ラジオ、新聞、ネット、ありとあらゆるメディアによって伝えられ続けてきた。
一方、東日本大震災におけるメディアやジャーナリズム研究も、ローカルな視点からグローバルな報道を対象にしたものまで多岐にわたって行われてきた。
これまで災害報道、特に放送においては、1991年の雲仙普賢岳火山災害、1995年の阪神・淡路大震災などで数多くの研究がされてきた。
こうした過去の災害時における研究と、東日本大震災における研究の最大の違いは、放送内容がまるごとアーカイブされたことにある。実際に放送された番組を見直すことによって、震災報道がどのように行われたのかを、記憶や印象に頼らずに客観的に記述することが可能になった。
その結果、放送メディア、特に被災地の放送局は、「機能が麻痺している自治体機能を代替・補完し、緊急時地域情報センターとして機能した」(*1)などと評価された。
一方で、原発事故における報道姿勢については、「大本営発表」(*2)、「マスメディアが発信した情報が『共有』されるべき価値のある情報ではなかった」(*3)などと批判された。
東日本大震災を経験した放送メディアは、大震災から何を学び、どう変わっていこうとしているのだろうか。本稿では、大震災後10年の放送メディアを概観する。
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