気仙沼「この10年」生き抜いてきた人々の大奮闘 地域商売の正念場、好機と逸機にどう向かうか

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

チャレンジ精神は代々受け継がれた。現在も商品開発を続け、販売手法も工夫する。

「インターネット販売は2004年から始めています。まだ売り上げ全体の1割程度ですが、昨年は対前年比180%となりました。今後は新商品も増やし一段と注力したいと思います」

石渡商店の「フカヒレ姿煮」(写真:石渡商店)

2011年3月11日、東日本大震災の当日。石渡氏は中国・上海にいた。現地の中国人が経営するレストランにフカヒレを提供する商談のためだ。

「妻から『津波に追いかけられている』という国際電話があり、気仙沼が大変なことになっているのを知りました。2人いる子どもも当時は1歳と新生児。すぐに仕事を切り上げて帰国。成田空港から約20時間かけて気仙沼にたどり着きました」(石渡氏)

家族や従業員の大半が無事だったが、女性社員1人が亡くなった。全壊した工場には“フカヒレ石渡商店”の看板が残っていた。苦労して会社を大きくした正師氏も落ち込んでいた。

「帰国後は従業員の安否確認に走り回りながら、会社の今後について自問自答しました。商品開発を担当する弟の康宏(常務取締役)と話し合い、『フカヒレの加工を再開して工場を復活させよう』と決意。それから父に伝え、できることから仕事を再開しました」

従業員の奮闘と義援金の支援もあり、工場も復活。「食を通じて恩返し」も決意した。

石渡商店本社工場と石渡久師氏(筆者撮影)

仮設住宅のお母さんが「新商品モニター」に

やがて、フカヒレ以外の商品開発にも乗り出す。「新商品開発はいつも台所から」と話す石渡氏が試作に1年半かけた商品が「気仙沼完熟牡蠣のオイスターソース」だ。

「気仙沼は牡蠣も名物です。津波で自宅を流されて仮設住宅に入居していた、地元のお母さんたちに食べてもらい、感想や料理レシピ、改善点などを教えていただきました」(石渡氏)

2013年に発売されると、農林水産大臣賞も受賞。ネット販売でも評判となり、初年度は約3000本だった販売数が現在は約10万本に成長した。

その後に開発した「気仙沼旨味帆立とコラーゲンのXO醤」も好評で、テレビ番組「満天☆青空レストラン」(日本テレビ系列)でも絶賛され、さらに売り上げが伸びた。

次ページなぜ、フカヒレ以外の商品開発に乗り出したのか
関連記事
トピックボードAD
政治・経済の人気記事