円高犬が実際に吠えていたら、旧来の輸出産業は採算が取れなくなり、日本の産業構造は変わっていたはずである。小泉内閣が行った経済政策の本質がここにあった。
つまり、中国の工業化という世界経済の大きな変化に対して、日本経済が変革するメカニズムをつぶしたのである。
一般に「小泉内閣は改革を行った」と言われるが、実際に行ったのは正反対のものであったのだ。
円安が継続して円キャリーが安全な取引と認識されるようになったので、個人も参加してきた。まず、退職金を外貨投資信託で運用する動きが広まった。
さらには、FX取引だ。普通の主婦がオンラインでレバレッジの高い外貨取引を行うようになった(こうした投資を行う日本人は、海外から「ミセス・ワタナベ」と呼ばれた)。
一般に、個人が投機取引に参入してくるのはバブル末期の特徴である。この場合にも、そうした現象が典型的な形で見られたわけだ。
マクロモデルの予測どおりにはならなかった
結局、この期間の日本のマクロ経済政策は、次のようなものだ。まず金融緩和を行って金利差を作り、その後介入で円高を封殺した。すると円キャリーが起こり、円安が持続する。そして輸出が増大し続ける。
ところで、この期間、財政面では緊縮財政が行われた。とりわけ公共事業が減額された。GDPの構成要素を見ると、前ページ図に示すように、この間に外需(純輸出)と内需(公的固定資本形成)の入れ替えが、ほぼ1対1の関係で起こっていることがわかる。
すなわち90年代後半まで、公的資本形成の対GDP比は8%程度であり、純輸出の比は1%未満だった。ところが、前者は傾向的に低下を続けて、08年には3%台になった。それに対して、後者は傾向的に上昇を続け、08年には5%を超えた。