「メリーアン」のヒットでお茶の間に浸透
再デビュー後、1980年に発売されたアルバムの制作時に、プロデューサーからアレンジ面でエレキギターの使用について提案があった。それを機に、高見沢は封印していたエレキギターを解禁。その後の作品作りが、それまでのフォーク色の強いものから徐々にロック色を強めていった。さらに、その頃からコンサートの動員数も急増し、全国でのコンサートも規模が拡大していった。
1982年、初の野外コンサートが所沢航空記念公園で開催される。きっかけは「アルフィーは室内音楽だ」という批評に対する高見沢の反発だった。それ以降、2007年まで25年連続で夏の野外イベントを開催している。
1983年、ヒット曲がない中、初の日本武道館公演を開催。ちなみに現在、日本武道館でのコンサート回数がバンドで最多であり、記録を更新中である。
そして同年、「メリーアン」が大ヒット。数々の音楽番組に出演し、年末には「NHK紅白歌合戦」にも初出場を果たして、一躍、お茶の間にも浸透した。また、「メリーアン」以降、現在に至るまで48作連続でオリコン誌のシングルチャートベストテンにランクインし続けている。
1986年には当時、何もなかった東京湾13号埋立地で「TOKYO BAY-AREA」と題した野外イベントを開催。当時の日本のアーティストとして前人未到の10万人を動員し、大きな話題となった。
その後も全国ツアーや夏のイベント、楽曲リリースをコンスタントに行う。2000年代に入ると、高見沢がバラエティ番組にレギュラー出演し、「タカミー」と呼ばれるようになる。その個性的なキャラクターがお茶の間に対して親しみやすい存在となり、特に近年は若い年代のファンが急増している。
そして、今年はデビュー40周年。さらに、4月には高見沢、坂崎が還暦を迎えた。7月には記念イベントがさいたまスーパーアリーナで開催され、8月には記念シングルがリリースを控えている。
6月いっぱいまで開催された春のツアーでは、40年の活動の集大成とも言える、3人の魅力を凝縮した選曲や出し物で全国のファンを魅了した。
教訓:過去最高のものを作り続ける
コンサートのMCでは、「まだまだ40年。50周年もよろしく」と冗談交じりでファンにメッセージを送っているが、コンサートのクオリティや盛り上がり、動員力などを見ていると、あながち冗談ではなさそうだ。いや、間違いなく50周年もステージに立って、今と変わることなく歌っているだろう。
これだけの実績がありながらも、彼らはつねに「これからがスタート」と言い、バンドとしての夢を語り、そして、先を見据えている。高見沢は「これまででいちばんの作品は何か?」と聞かれると、必ず「ネクストワン」と答えている。そうした「つねにスタートラインである」という姿勢や、さまざまな逆境を力に変えてきたポジティブさこそが、40周年を迎えた今もなお進化し続ける原動力のひとつとなっているのかもしれない。
次回以降は、そんな彼らから、われわれビジネスパーソンが学べること、教えられることをお届けしよう。
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