成功の肝は忍耐、渋沢栄一に学ぶ「頭の下げ方」 大河ドラマ時代考証者が語る5つのポイント
「資本主義」という言葉を使わなかった渋沢
――渋沢栄一が生まれたのは江戸時代末期の1840(天保11)年。すでに180年以上も前のことです。ずいぶん昔の話ですが、今また、渋沢への関心が高まっているようですね。
今年は渋沢が亡くなってからちょうど90年に当たります。もう歴史上の人物ですよね。しかし、単なるその歴史上の人物としてもてはやされるのではなく、今こそ必要な人物という視点で受け取られている部分が大きい気がします。
同時に、多くの人は、渋沢栄一が成し遂げた事績をおぼろげながらに見聞きしている程度で、それらがどのような意味を持つのかまでは詳細に知らないのでは。だからこそ今、追認しましょうという気運が高まっていると思います。
――今を生きる私たちが、渋沢栄一から学べるものとは何でしょうか。
講演などで渋沢についてお話をする機会をいただくと、私はしばしば5つの側面から渋沢を取り上げます。そこから学び取れるものがあると思うので、順に紹介していきましょう。
まず1つ目は、やはり渋沢の著書である『論語と算盤』の世界ですね。論語と算盤というのは、道徳と経済と言い換えてもいいのかもしれません。
資本主義社会の中では、企業や個人の利益を最優先にするという考え方が中心ですよね。でも渋沢は、いつでも第一に公益を大事にしました。そもそも彼は「資本主義」という言葉をほとんど使わず、「合本法」と言っていましたからね。「合本法」とは、公益を追求するために、適した人材と資本を集めて事業を推進させるという考え方で、社会における公益に軸を置いたのです。
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