成功の肝は忍耐、渋沢栄一に学ぶ「頭の下げ方」 大河ドラマ時代考証者が語る5つのポイント
――物事に対するスケール感に圧倒されます。
そうした人物ですから、リーダーシップも強く発揮していました。これが渋沢を語る際に重要な4つ目のポイントです。
リーダーとしての渋沢の特徴は、何と言ってもブレないということ。そのうえで、将来を見据えて明快な指針を生活者目線でわかりやすく説く。それができたのは、『論語』の影響が大きかったのではないでしょうか。
渋沢が『論語』に初めて触れたのは5、6歳のころでした。ただ、厳格な父親は『論語』の一説を引用しながら渋沢を叱っていましたので、実際は5、6歳以前から間接的に『論語』を学んでいたと渋沢自身が語っています。
孔子の教えをまとめたものには『大学』『中庸』もあります。にもかかわらず、渋沢が『論語』を好んだのは、『大学』や『中庸』が政治家や為政者に対する言葉であり、庶民に対して少し高いところから物を述べるような言葉が多くあったからです。その内容を理解しようとすると、ワンクッションを置いて学ぶ必要があります。そうなると、なかなか社会に浸透していきません。
一方には、朝起きてから夜寝るまでの1日のさまざまな場面に適合する教訓がちりばめられている。つまり、生きる術を学ぶにおいて規範にするべきものは『論語』だと思い、論語を選んだと語っています。
事業経営の必須条件は「絶大なる忍耐力」
――数多くの会社運営に関わっていますが、井上館長が解説を書かれた『渋沢栄一自伝雨夜譚・青淵回顧録(抄)』(角川ソフィア文庫)を読むと、すべてが順風満帆ではなかったようですね。
よく知られているように、渋沢はみずほ銀行(旧第一銀行)やJR東日本(旧日本鉄道)、東洋紡(旧大阪紡績・三重紡績)、王子ホールディングス(旧抄紙会社)などの名だたる企業を設立・育成しています。
それらの多くの企業は今も健在ですが、経営が軌道に乗るまでには実に多くの困難に見舞われました。しかし渋沢は、決してあきらめることはしなかった。
事業経営の必須条件の1つとして、渋沢は「絶大なる忍耐力」を挙げているほどです。特に銀行経営は本当に苦労して、軌道に乗るまで10年近くかかったようですね。その他の企業も、数年の年月をかけて安定させていきました。
その間、渋沢に共鳴して出資してくれた人たちに、何度も頭を下げて。丁寧に説明して回っているんですよ。今ではこういう頭の下げ方は珍しいのかもしれません。事が起こった際に、責任を取り退任するからといって頭を下げ、それで済ませてしまう。
ところが渋沢は、出資者に理解を求めるために頭を下げ、困難を乗り越えようとしました。同じ頭を下げるのでも、下げ方が違っていたのです。
何としてでも事業を持続し、世の中に必要なものとして定着させる。それを第一に考えている人でした。うまくいかないからといって責任を放棄するのではなくて、リーダーシップを発揮して乗り切っていく。それが渋沢なんですよ。
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