山崎正和が創りあげた「知の交差点」の磁場 開高健、高坂正堯、梅棹忠夫、小松左京も結集

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ところで本書の異色ぶりの1つは、巻末に25ページにわたる「山崎正和写真館」と見出しの付いた写真集が掲載されていることだろう。

326ページには「サントリー文化財団設立発表」の記者会見の折に撮影された1枚のスナップがあり、会見の場に主催者側の1人として立ち合っていた私にも、思い出すことの多い懐かしい写真だった。

1979年2月、記者会見会場は大阪・ロイヤルホテルの一室。くだんの写真は佐治敬三社長(理事長)を真ん中にした立ち姿で、右手に山崎正和と高坂正堯、そして佐治の左手にノーネクタイの小説家・開高健が写っている。

読者は、そこに山崎正和がいることには何の不思議も感じないと思われるが、なぜ開高健と高坂正堯が同席しているのか、すぐには理解困難だろう。

小玉武(こだま たけし)/1938年、東京生まれ。1962年に早稲田大学を卒業後、サントリー株式会社入社。宣伝部で広告制作、『洋酒天国』編集を担当。のち広報部長、文化事業部長、TBSブリタニカ取締役出版局長(出向)を歴任。『サントリークォータリー』を創刊し、14年間編集長。2000年3月退職後、早稲田大学の参与と非常勤講師、小川未明文学賞委員会会長などを務めた。著書に『『洋酒天国』とその時代』(筑摩書房、第24回織田作之助賞)、『評伝 開高健』(ちくま文庫)などがある(写真:Emi Naitou)

実は開高健は、その4年も前から、文化財団のような組織と小説の賞ではなくて研究者や評論家に出す賞をつくっては、と再三にわたり佐治敬三社長に提案していたのである。

「大統領!」。開高は、こう佐治に呼びかけることが多かった。

「音楽財団(現・芸術財団)の活動はすごくいい。クラシック音楽の世界の片隅を照らす、という考えには賛成です。しかし、思想や文化・学芸、風俗や文芸評論の領域は、新聞社や出版社をのぞくと、企業からの支援はほとんど手つかずの状態、(中略)もっとも文学賞はいろいろあるけどねえ……。こうした分野の若手研究者を励ます財団と賞を、ぜひつくって欲しいですな」(拙著『佐治敬三』ミネルヴァ日本評伝選、2012)

開高健にはプロデューサー的才能があったし、ある面での佐治敬三の経営参謀だった。 

まさにその時期、佐治敬三は「中之島芸能センター」構想や、「大阪二十一世紀協会の設立」などの事業に関わっていたが、そこで学識経験者として参加していた山崎正和を知ったのである。

類まれな幅の広い多才な人物で、開高に似たプロデューサー感覚があり、佐治は山崎を高く評価した。佐治の人を見抜く目は鋭い。開高健も佐治に見出された。

「知のサロン」を形成

このとき、佐治はこの財団の設立構想を山崎正和に託そうと思った。当初、佐治を囲んで、山崎正和、そして山崎の盟友・高坂正堯、開高健、平木英一(サントリー常務)らが、何回となく財団の構想を練る打ち合わせをもつ姿が見られた。

サントリー文化財団の設立は、創立80周年記念の事業を検討する役員会議で決定した。財団の本拠地は大阪に置く。初代理事長は佐治敬三、理事に山崎正和、高坂正堯、開高健などのほか、梅棹忠夫、小松左京、堺屋太一らも運営に加わった。設立発表記者会見に、三役ならぬ4人がそろい踏みしたのはむしろ当然だった。

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