――周りのプレッシャーに負けないようにするわけですね。
美しい風景が来るまで絶対に撮らないぞという、覚悟を決めなければならない。もちろん全部のカットでそれをやるわけにはいかないけど、ここぞというカットのときは、そういう覚悟を決めて作品に入る。そうすれば、いくらでも待てる。監督自身が覚悟を決めていると、俳優も全部納得する。「しょうがない」と納得して待っている。小林薫さんは「この組でやらなきゃいけないことは我慢だ」と言っていましたからね。
黒澤明監督の下での経験が、本物を撮るこだわりを培った
――『劒岳 点の記』のときは全員が合宿をして撮影に挑んだと思いますが、今回の『春を背負って』もそうだったのでしょうか?
(舞台となった)山小屋に泊まりながらの撮影です。そこは20人ぐらい泊まれるから。でも、4~6月は小屋番がいないから自炊になる。特に4月なんて、雪の中に埋まっているから、自分たちで掘り出して、山小屋の中に入ることになります。
――映画そのままですね。
そう、そのまんま。冒頭に、小林薫さんと子どもが山小屋に入るシーンがあるんだけど、そこは、川崎にある倉庫にセットを作って撮影を行ったシーン。そのセットはマイナス20度になるんだけど、1週間かけて、いろいろなところに水をかけて、本物の雪を作り、それから撮影したんだ。それはものすごくおカネがかかることだけど、そういうところには俺はこだわる。基本的には本物で映画を撮るんだ、という意識があるから。
――本物を撮りたいという思いと、予算の兼ね合いはどう考えていますか?
この組では、「我慢」という言葉がはやったが、自然というものは待たなければ撮れないよ。特に、映画の場合は役者やスタッフを連れていかなければならないから、彼らの拘束時間だって長くなる。本物の山で撮るということは、いろいろな意味でおカネがかかることなんだが、それでもやるのは、いいものが撮れる保証があるからだよね。
それを本物まで作っちゃう人が黒澤明なんだよ。たとえば『用心棒』の宿場町。あれだってみんな本物だから、今作ると数十億円はすぐにかかってしまうだろうね。黒澤さんのすごいところというのは、本物を作ってまでやろうというところにあるんだよ。黒澤さんがやるんだと言ったらみんなおカネを出すんですよ。でも、俺がそれをやりたいと言っても出してくれない。だったら(本物が)あるところに行けばいい。それだけの努力をわれわれがすればいいんだ。そういうところはこだわる。それをごまかしてやることは俺にはできない。
――やはりそれは黒澤監督の現場を肌で感じたから?
そういうこと。若いときに、撮影助手として5本ついていましたから。俺は黒澤一家でも何でもないんだけど、そういうのを見てきたのは、もう俺くらいが最後の世代。だからあれこそが本物の映画作りだと思っているところはあるよ。
本物を作るおカネがないなら、あるところに行けばいいじゃないか。それが山に向かう理由。こういうところに行って映画を撮る人は日本映画界では誰もいない。だから目立つわけだよ。企画も通りやすいというわけだね。そんな企画を持っていく人はいないよ。やはり暇であることが第1条件となるからね。
暇だから体力的なことをいとわない。本物のところへ行くことだってできる。でも、日本映画界にはそんな考えを持つやつは誰もいないんだよ。みんな徒労や無駄な骨折りはやりたくないんだよ。でも俺は、無駄な骨折りになってもやってみようと思うわけ。
――そこに山があるからというわけですね。
だからこの映画がヒットしなかったら、本当の徒労になっちゃうんだよ(笑)。
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