中満:日本人は強く主張しないから、国際社会で活躍できないという誤解が日本にはあるようですが、それは間違っています。国際機関で尊敬されている方は、人の意見をきちんと聞く人ですし、コミュニケーションというのは自分が言いたいことを相手に伝えるだけではなく、相手が話していることを理解し、そのうえでどういった話し合いを行うことで相手を説得できるのかを考えることで、自分の言いたいことを一方的に伝えればいいということではありません。
私は戦争犯罪人と交渉したこともありますが、そのときも自分の見てくれはできるだけソフトなほうがいいと思っています。譲れない部分では絶対に譲らないことが重要ですが、まずは相手の言いたいことを聞き、できるだけソフトに話すよう心掛けています。アグレッシブである必要はまったくなくて、むしろソフトなほうが相手を説得する可能性が高まるんです。
須賀:非常に参考になります。個人的には、そのようなあり方が国際社会における日本のポジショニングやプレゼンスにもつながるのではないかと思っています。中満さんは以前、日本は国際社会の重要なパイプ役になれるとおっしゃられていますが、中満さんがおっしゃるパイプ役というのは、決して消極的な意味ではなく、積極的な意味ですよね。日本的なやり方によって合意形成の核を担うことが可能だということでしょうか?
「日本特殊論」をいますぐ捨てよ
中満:はい。可能だと思っていますが、日本はそのポテンシャルや潜在力を使うのが得意でないように感じます。日本はバブル崩壊を経て、国際社会での立ち位置について模索し続けている国だと思っています。国際社会における立ち位置についてのコンセンサスが国内でできておらず、コンセンサスを作るために必要な深い議論もなされていません。本来であれば、日本はいい意味での自信を持つべきなんです。
いい意味で、というのは「日本万歳」や「日本特殊論」ではなく、長い歴史の中で中国という超大国の隣にありつつ、第2次世界大戦に突入するまでは、難しい地域でサバイブし、西洋諸国の植民地にならずに産業革命を成し遂げたという自信です。そしてもちろん、戦後75年間、平和大国として開発支援などさまざまな貢献を続けてきた実績もあります。
須賀:そうですね。
中満:コロナ禍に強く感じたのは、「日本モデル」や「日本方式」といった言葉に固執する人が日本では非常に多いことです。どの国でも、ほかの国や地域のモデルをそのまま当てはめるということはありえないことで、それぞれの国の事情に合わせた形で戦略を立てるということはごく当然のことです。
なぜそれを改めて、日本モデルというように、特殊論的に議論する必要があるのかは理解不能ですし、このような「日本特殊論」はいますぐやめなくてはなりません。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら