イトマン事件から30年、スクープ記者語る悔恨 裏社会に多額の金が流れた巨大経済事件の顛末

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事件発覚後に記者会見するイトマンの河村良彦社長(左)と伊藤寿永光常務(写真:東洋経済写真部)
無謀な地上げ、法外な絵画取引、乱脈なゴルフ場開発など、バブル経済のまっただ中で創業100年余の中堅商社を通じ、闇社会がメインバンクの住友銀行から巨額の金をむしり取ったイトマン事件。それが発覚したのは内部告発状、そして住友銀行のバンカーだった國重惇史氏と日本経済新聞記者の大塚将司氏のタッグによる巧妙な作戦によるものだった。1990年の日経新聞のスクープから30年あまり経ち、大塚氏は何を感じているのか。告発の軌跡をインタビュー形式(聞き手は五十嵐京治POWER NEWS編集長)でまとめた大塚氏の新著『回想 イトマン事件』を一部抜粋・再構成してお届けします。
<イトマン事件発覚の経緯>
日本経済新聞1990年9月16日の「伊藤萬グループ不動産業などへの貸付金、1兆円を超す 住銀、資産内容の調査急ぐ」という3段の記事が、戦後最大の経済事件と言われたイトマン事件勃発の狼煙となり、イトマンの膿が次々と世の中にさらけ出された。
10月7日に「住友銀行の天皇」と言われた磯田一郎会長が辞任し、翌1991年1月25日には、イトマン取締役会で河村良彦社長を電撃解任。4月24日には大阪地検特捜部と大阪府警がイトマンに強制捜査に入り、7月23日に、河村氏、伊藤寿永光(いとう・すえみつ)氏、許永中氏ら6人が商法違反の特別背任容疑で逮捕された。それから14年後の2005年10月7日、最高裁は上告棄却を決定し、河村氏に懲役7年、伊藤氏に懲役10年、許氏に懲役7年6月の刑が確定した。
舞台となった東証1部上場の老舗商社イトマンは、事実上多額の債務超過に陥り、1993年4月1日、住友金属工業(現:日本製鉄)系の鉄鋼商社「住金物産(現・日鉄物産)」に吸収合併され、110年の歴史を閉じた。合併にあたり、5000億円を超すイトマンの不良資産は別会社に分離し、住友銀行が時間をかけて処理することになった。が、3000億円ともいわれるこの事件で闇社会に流れた金については、裁判で全容が解明されることはなかった。

イトマン側は記者の情報を1000万円で収集していた

――大塚さんに聞いておきたいことがあります。特別背任容疑などで逮捕された河村良彦、伊藤寿永光、許永中の3被告に対する初公判が1991年12月19日に開かれました。

大阪地検特捜部は、その冒頭陳述のなかで、関連事件で逮捕した不動産開発会社社長だった小早川茂被告が「日経新聞内の協力者に現金1000万円を支払って記事執筆記者の情報を収集した」と明かしました。大塚さんがどのようにしてその情報を知り、どう受け止めたのか。大塚さんがイトマン報道から離れて1年2カ月あまり経っています。

大塚:そうですね。実は、入社年次で順送りする日経の年功序列人事で、僕は1991年3月に次長(デスク)か、編集委員に昇格して、記者クラブに所属する取材の現場を離れることがほぼ確実でした。つまり、毎日の紙面製作に携わるか(次長)、過去の経験を生かしてニュースの解説などを書く立場(編集委員)になるわけです。

僕は証券部に7年、その後、経済部に9年在籍していたので、順当なら経済部で昇格したのでしょうが、古巣の証券部に戻って次長になりました。

「書かずの大塚」でしたから、編集委員でなく次長を希望していました。次長はローテンション職場で、記事を書くというオブリゲーションなしに、これまで通り旧知の取材相手と懇談したり、会食したりできると考えたからです。いずれにせよ、1991年3月から証券部次長として、企業財務やマーケット情報を載せる紙面の製作の仕事をしていました。

次ページ当日は旧知の取材相手と会っていた
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