イトマン事件から30年、スクープ記者語る悔恨 裏社会に多額の金が流れた巨大経済事件の顛末

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――大塚さんはイトマン事件を振り返り、「自分の認識の甘さに忸怩たる思いが募るばかり」「心の奥底に悔恨が澱(おり)のように沈んでいる」と語っています。

大塚:イトマンの乱脈経営を暴いたのはバブルに風穴を開けるのが目的でした。1991年に入ると、「環太平洋のリゾート王」と持てはやされた高橋治則氏率いる中堅不動産のイ・アイ・イ・インターナショナルの経営危機が表面化し、夏には東洋信用金庫を舞台に「北浜の天才相場師」と呼ばれた料亭「恵川」の経営者、尾上縫氏の架空預金証書事件が発覚しました。

この他、不動産市場と株式市場で派手な投機を繰り返して名を馳せたバブル企業の経営も一気に悪化しました。首都圏ではイ・アイ・イのほか、麻布自動車、第一不動産、秀和、関西圏では末野興産などです。

だから、1991年半ばくらいまでは自分の目論見が成功した証と受けて止めていました。しかし、1991年秋も深まる頃から、全国津々浦々でバブルに踊った連中が跋扈していたとわかり、それが自分の想定をはるかに超える規模になっていると感じるようになっていました。自分の不明を恥じる気持ちが芽生え始めていた、ちょうどそんな時、この「日経社内の協力者」の問題が起きたのです。

しかし、当時日本の経済社会を正常化させるためには、ある程度の痛みがあっても当然だろうという認識も強く、株価と地価の下落に歯止めを掛けなければ大変なことになるとまでは思い至りませんでした。

金融機関が含み損を抱えるのは時間の問題だった

そうした思いを強く抱くようになったのは、1992年夏頃からです。証券部デスクとして、日々の株式相場の動向を見ていて、下げ止まる気配がまったくなく、ここまでくると金融機関の保有する有価証券の含み益が消えるどころか、含み損になるのは時間の問題だろうと思ったんです。

しかも、1992年1月から地価税の課税が始まり、当分地価も下げ止まらないだろうと予想しました。そうなると、金融機関の不良債権は急増し、その穴埋めもままならない状況がやってくるのは間違いなく、背筋が寒くなりました。このままメディアが寄って集ってバブル潰しに喝采を浴びせ、株価と地価の下落が底なしに続けば、早晩金融恐慌に追い込まれる、と確信しました。

そんな時です。8月末の自民党の軽井沢セミナーで宮澤喜一首相が「金融機関に公的資金を投入して不良債権を早期に処理する必要がある」と発言したんです。証券部のデスクですから、僕がこの発言の報道に関わることはなかったのですが、内心、「我が意を得たり」と思ったものです。

しかし、この「金融機関への公的資金投入」構想は世論の猛反発にあい、すぐに撤回されてしまいました。案の定というか想定通りの結末でしたが、僕は、対外的にはもちろん日経社内でも沈黙していました。

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