イトマン事件から30年、スクープ記者語る悔恨 裏社会に多額の金が流れた巨大経済事件の顛末

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当時、自国に金融危機の兆候のなかった欧米諸国では、金融システム維持のための「大きすぎて潰せない(too-big-to-fail)」という考え方は否定され、「金融機関でも破綻すべきは破綻させる」ハードランディング路線が望ましいという考え方が主流になっていました。だから、欧米諸国は「金融機関への公的資金投入」構想を厳しく批判しました。

日本の言論界は欧米の主張をオウム返しするのが常なので、「大きすぎて潰せない」という国内世論が醸成されるはずはありません。

仮に、僕が日経新聞で「大きすぎて潰せない」と掲げて、救済の必要性を世論に訴えかけようとしても、担当を外されるだけでおしまいなのは見えていました。まさに歴史の必然だったのですが、僕には討ち死にする選択肢もあった。

でも、僕は自分の「欲」のために日和ったんです。僕がやったことはといえば、自らへ責任追及を恐れて公的資金の受け入れをためらう大手金融機関のトップたちに、懇談の折に「受け入れない限り共倒れになる」などと説得したり、何度か時の銀行局長に「破綻処理でなく、救済すること、つまり銀行という会社は残すべき」と訴えたりしたくらいでした。

バブル潰しの火を消そうと動かなかった

そして、結末はどうだったか。僕は1995年に念願かなって三菱銀行と東京銀行の合併をスクープしましたが、1997年暮れ、三洋証券、山一証券の破綻を引き金に北海道拓殖銀行、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行も破綻。日本経済は昭和恐慌に匹敵する金融恐慌に見舞われました。

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予想通りと言ってしまえば、それまでなんですが、僕はバブル潰しの火をつけた。火をつけたのは僕1人ではありません。

でも、1992年夏には火を消さなければならいないとわかっていたのに、僕は自分の欲のために消そうと動かなかったという事実は消えないんです。だから、今もって、「心の奥底に悔恨が澱のように沈殿している」んです。

この聞き語りをしている最中、新型コロナウィルスという妖怪が世界中を席巻することになりました。今、われわれは過去経験したことのない危機的・災厄的な状況の渦中にあります。

このコロナ禍から、われわれは抜け出せるのか。五里霧中と言わざるを得ません。「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」でよかった気もします。

大塚 将司 作家・経済評論家

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おおつか しょうじ / Shoji Otsuka

1950年横浜市生まれ。早稲田大学大学院政治学科修了後、日本経済新聞社に入社。証券・銀行業界、大蔵省、通産省、財界等を担当。「三菱銀行・東京銀行の合併」のスクープで1995年度新聞協会賞を受賞。2003年の株主総会で鶴田卓彦社長(当時)による会社私物化を追及し、退陣に追い込んだ。10年に定年退職。著書に『謀略銀行』(ダイヤモンド社)、『日経新聞の黒い霧』(講談社)、『スクープ 記者と企業の攻防戦』(文春新書)など。共著に『ドキュメント イトマン・住銀事件』『銀行淘汰 三菱・東銀合併の衝撃』(以上、日本経済新聞社)など。

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