渋沢栄一を凄い読書家にした常識覆す師の教え

短期連載第2回、人生を大きく変えた出会い

その理由について、惇忠は渋沢にこう説明している。

「読書の読解力をつけるには読みやすいものから入るのが一番よい。どうせ四書五経を丁寧に読んで腹にいれても、本当に自分のものとなって役に立つようになるのは、だんだん年を取って社会でさまざまなことを経験してからだ」

そういわれた渋沢は『通俗三国志』や『里見八犬伝』など、いわゆる低俗小説から読み始めた。すると、読書を重ねるうちに、自然と読解力が磨かれていくことに気づく。

また「読書とは必ずしも机の上でかしこまって読むだけでない」というのも、惇忠の持論であり、「とにかく自分の気が向いたときに読むのがいちばん」と子供たちに教えていた。

渋沢が歩きながら読書をしてドブにはまったのは、この頃の話である。惇忠の言うことを、素直に実践したからこその大失敗だった。

18歳になると、渋沢は惇忠の妹、千代と結婚を果たす。渋沢にとって惇忠は、まさにメンターともいうべき存在だったといえるだろう。そしてもう一人、渋沢に影響を与えた男がいた。惇忠の弟、長七郎である。

渋沢の心をとらえた長七郎の憂国の思想

渋沢にとって長七郎はわずか2歳年上にすぎなかったが、ずいぶんと大人びて見えたことだろう。大柄で腕力もあった長七郎は、剣術にも優れていた。だが、渋沢の心をとらえたのは、長七郎の腕っぷしの強さではなく、憂国の思想だった。

長七郎はたびたび江戸に出て、友人の書生を連れて帰ってきた。そのときは必ずといっていいほど、国家の行く末についての議論になった。何しろ、時は激動の幕末である。アメリカから黒船が来航し、開国を迫られると社会情勢は一変した。

開国か、攘夷か――。渋沢のメンターである惇忠が水戸学を信奉し、尊王攘夷思想に傾倒していたため、渋沢もおのずと攘夷思想に染まっていく。しかし、肝心なのはいつでも実践である。江戸帰りの長七郎が熱く議論すればするほど、22歳の渋沢は焦りが募った。

「このまま田舎で百姓などしていられない。どうか自分も江戸へ出たい」

反対する父を説得し、渋沢は2カ月にわたって江戸に滞在。海保塾で漢学、千葉道場で剣術を学んだが、本来の目的は別のところにあった。

「読書や剣術などを修業する人のなかには自然とすぐれた人物がいるものだから、そのなかから抜群な人々を選んで最終的には自分の友達としたかったのだ」

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