「ナポレオンは背が低い」が正しくなかったワケ あのライト兄弟よりも先に空を飛んだ男がいた
1799年に権力を掌握してまもなく、ナポレオンはあらゆるフランス軍兵士に身長による資格制限を設けた。
たとえば皇軍精鋭部隊の擲弾(てきだん)兵たちは、少なくとも5フィート10インチ(178センチメートル)の身長がなければならず、また、彼直属の近衛隊だった精鋭騎兵部隊も身長5フィート7インチ(170センチメートル)以上の兵士たちで組織された。
ナポレオンが権勢を振るったほとんどの期間、彼は人並み以上に背の高い兵士に囲まれていたことを意味する。その結果、ナポレオンは小柄だというイメージができあがったのかもしれない。
イギリスが生んだ偉大な風刺画家ジェームズ・ギルレイは、ジョナサン・スウィフト作の小説『ガリバー旅行記』からヒントを得た作品『ブロブディンナグの王とガリバー』で、史上初にしてもっとも痛烈な小男ナポレオンのイメージを描き上げた。
この風刺画では、イギリス国王ジョージ3世がナポレオンを手のひらに載せ、単眼鏡を片手にしげしげとナポレオンを眺めながら、こうコメントしている。
「おまえのような、ちっぽけで汚らわしく卑劣な爬虫類が、よくものうのうと地上を這い回っていられるものだ」
「小柄なナポレオン」神話が延々と語り継がれるのは、「ナポレオン・コンプレックス」という言葉が広く知れ渡ったからでもある。これは「背の低い人には劣等感があり、その反動で攻撃的な性質を持つ」といわれる俗信。しかし、この俗説には科学的な証拠はほとん
ど認められていない。
クレオパトラの容貌は一線を画していた
そう、この話も、まことしやかな嘘である。
現存する彫刻と貨幣から明らかにわかるのは、彼女がシェークスピアに描写されたほど美女ではなかったこと。
だが、プトレマイオス朝(古代エジプトの王朝)の王たちの(何世紀ものあいだくり返された血族結婚の結果である)どんぐり眼の太った顔立ちとは一線を画す容貌の持ち主だったこともはっきりしている。