「ナポレオンは背が低い」が正しくなかったワケ あのライト兄弟よりも先に空を飛んだ男がいた
ケイリー卿の発明はさらに続いた。転覆してもすぐに反転して正常な姿勢を保つセルフライティング救命ボート、現在のブルドーザーに使われているキャタピラ、線路の踏切に設置されている自動信号機、車のシートベルトなども、ケイリー卿の発明品。これらはすべて公共の福祉に役立てるのが目的だった。
ライト兄弟による有人動力飛行の偉業は、このちょうど半世紀後、1903年に達成された。2人はケイリー卿に刺激され、さらに、もう1人の航空界の陰のヒーロー、オットー・リリエンタールからも影響を受けたという。
ドイツ航空工学のパイオニアであり「グライダー王」として知られるこの技師が、何度も空を飛んだ最初の人間だ。ライト兄弟が現れる前の10年前に、すでに2,000回以上のグライダー飛行に成功している。
彼の飛行実験は、1896年に墜落死するまで続けられた。彼は最期にこう残している。「小さな犠牲は払われなければならない」と。
ナポレオンの身長は平均以上だった
「おちびさん」というイメージがあるけれど……?
実は、格別背が低かったわけではない。
ナポレオン・ボナパルトが小男だったというのは、いまや世界の共通認識となっているが、これは誤訳と、ある種のプロパガンダが結びついて生まれた迷信である。
ナポレオンの検死解剖は、1821年、かかりつけの医師だったフランチェスコ・アントンマルキによって行われた。その記録では、ナポレオンの身長は「5/2」。イギリスの単位に換算すると、5フィートと6.5インチ(169センチメートル)になる。
当時のフランス人男性の平均身長は、5フィートと4.5インチ(164センチメートル)。
ということは、ナポレオンの身長は彼の周囲のほとんどの人々より高く、さらに、当時のイギリス人男性の平均身長(5フィート6インチ、つまり168センチメートル)よりも高かったことになる。
同じ時代に長身といわれたウェリントン公爵の身長よりほんの2.5インチ低いだけで、なおかつ、ナポレオンにとってもう1人別の強敵だったホレーショ・ネルソン子爵(訳注:アメリカ独立戦争、ナポレオン戦争などで戦ったイギリス海軍提督)より2.5インチ高かったということだ(ちなみに、ネルソン子爵の身長はわずか5フィート4インチ、つまり162センチメートルだった)。