名門私立中高が超進学校になれた歴史的な必然 「東大+京大+医学部」合格者数上位校の裏話

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さらに開成は、1974年には高校不足に悩む東京都の要請を受けて高校から100人の募集を開始した。これがちょうど、中学受験はしなかったが学校群制度を嫌う学力上位層にとって格好の受け皿になった。開成が初めて東大合格者数1位になったのはその3年後の1977年のことである。

昭和初期生まれの灘は長らく、官立の神戸一中の補完校であり、かつ、近隣の甲陽や甲南の後塵を拝する立場にいた。しかし戦後、学校制度が改変される際に生じた混乱を奇貨とした。

【2021年1月9日12時51分追記】初出時、灘の発祥にかかわる記述に一部誤りがありましたので上記のように修正しました。

公立進学校が共学化するのを嫌う家庭が少なくなかった。さらに学区制導入により、神戸一中からの転校を余儀なくされる生徒も多数いた。そこで灘は、県下のナンバースクール(公立上位校)の生徒たちを無試験で迎え入れたのだ。これにより、正規の入試を経た入学生のほかに、優秀な生徒が約50人集まった。彼らが目覚ましい大学進学実績を残し、県下トップ校の座に躍り出たのだ。

東海は周辺に医学部が豊富という地の利

愛知県の東海は、国公立大医学部の合格者数で、全国の高校のなかでもダントツの1位だ。近隣に名古屋大医学部をはじめ、名古屋市立大、岐阜大、三重大、浜松医大など医学部が豊富であることが、脅威の医学部合格実績の前提である。国公立大医学部の進学実績は総じて西高東低であるが、そのいちばんの理由は、人口当たりに換算すると、西日本に医学部が偏在しているからである。

東海はもともと僧侶養成学校として設立されたが、大正時代に一般生も受け入れるようになった。当時は特に「官尊民卑」の思想が根強い土地柄で、「官」志向で立身出世を目指す優秀な子どもは愛知一中(現在の旭丘高校)を目指したが、医者などの自営業者の子どもが東海に通うようになった。

奈良県の東大寺学園は、戦前までは勤労青年のための夜間学校だった。1986年に、東大寺の境内から現在の校地に移転し、規模を拡大した。

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