名門私立中高が超進学校になれた歴史的な必然 「東大+京大+医学部」合格者数上位校の裏話
ちょうどその翌年、国立大学入試制度に「A日程B日程方式」が採用され、東大と京大を併願できるようになった。早々に京大合格を決めた東大寺の生徒たちが気楽な気持ちで東大も受験してみたところどんどん受かった。1986年に21人だった東大合格者が、1987年には38人になり、1988年には64人になり、全国トップ10入りを果たしてしまう。それで全国区の知名度を得て、規模を拡大したばかりの学校に、優秀な生徒が他県からも集まるようになったのだ。
鹿児島空港が東大への距離を縮めた
鹿児島県のラ・サールは、1950年の設立当初から寮があったので、九州の全域から優秀な生徒を集めることができた。1960年代までの主な進学先は鹿児島大学や九州大学の医学部であったが、1970年代に鹿児島-羽田線が就航すると、東大への進学者が急増し、全国区の知名度を獲得し、全国から入寮する生徒が増えた。現在では東京、名古屋、大阪、福岡でも学校説明会を行っている。
似たような例では、新幹線の延長で進学実績が伸びた学校も多数ある。
このように見ていくと、超進学校を超進学校たらしめたのは、学校の普段の努力は大前提としても、通学可能圏内の人口、そこにおける競合校の数、近隣に有名大学がどれだけあるかが大きな要因であることがわかる。
だから、すでに私立中高一貫校が過密状態にある都心に新しい学校をつくったとしても、進学実績を伸ばすことは並大抵のことではない。逆に、埼玉や千葉など、かつて公立王国と呼ばれていた地域で、鉄道路線の拡大と足並みをそろえるように私立中高一貫校が躍進し注目を浴びるのは構造的な必然なのである。
また、公立高校の場合、学区の広さが進学実績に直結する。公立高校の躍進の裏にはほとんどの場合、学区の拡大がある。現在小学区制の公立進学校は、今後学区を拡大したときに大躍進する可能性がある。そんな視点もあわせて見ると週刊誌の大学合格者ランキングの見え方も変わるのではないだろうか。
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