名門私立中高が超進学校になれた歴史的な必然 「東大+京大+医学部」合格者数上位校の裏話

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まず前提として、東京の私立中高一貫校が難関大学合格実績の上位を席巻するようになったのは1980年代以降のことである。1960年代までは公立高校が圧倒的に強かった。1964年には日比谷高校が東大に193人もの合格者を出していた。いまの開成のような存在感である。

潮目が変わったのは1967年。都立高校が学校群制度を導入した。日比谷、西など一部の都立超進学校に集中する人気を分散させるため、なんと受験生から志望校を直接選ぶ権利を剥奪したのだ。受験生が選べるのは複数の高校からなる「学校群」までで、仮に合格したとしても、自分がそのなかのどの高校に「配属」されるのかは運を天に任せるしかなくなった。

それを嫌った都下の教育熱心な家庭の目先が、私立中高一貫校へと向いた。学力上位層が私立中高一貫校を目指す流れができた。すると当然のことながら難関大学進学実績も変化する。都立高校が軒並み合格者数を減らし、その分を私立中高一貫校がもっていった。進学実績が出るとさらにそこに優秀な生徒が集まるようになる。

現在の中学受験人気校のなかにはこのときに流れに乗った学校が多い。もちろん絶え間ない経営努力あってのことではあるが、状況としては「漁夫の利」である。さらにいくつかの「外的要因」が重なると躍進できる。その「外的要因」というのが、かなり俗的でわかりやすいものである場合が多い。拙著『超進学校トップ10名物対決』に掲載されているいくつかの学校を例にして説明する。

開成を躍進させた西日暮里駅の存在

開成が進学校として大躍進を遂げたのは1970年代。要因の1つには、西日暮里駅の開設が挙げられる。交通網の発達は実は高校の進学実績に大きな影響を与えるものなのだ。

1969年の千代田線開通に合わせて地下鉄および国鉄(現JR東日本)の西日暮里駅ができた。JR山手線において高輪ゲートウェイ駅(2020年3月開業)に次いで歴史が新しいのが実は西日暮里駅である。それまで開成に通うには田端駅か日暮里駅から歩かなければならなかったのが、2路線が交わる駅前の立地を得たことにより通学圏が一気に拡大し、優秀な生徒を集めやすくなった。

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