実際のところ、アジアはアメリカがアジアに参画できないからといってアメリカを待つことはない。アジアは世界1位(中国)、2位(インド)、4位(インドネシア)の人口大国を抱え、世界でもっとも躍動的に発展する経済を擁し――ASEANは2030年までに日本を抜いて世界第4位の経済規模となる――、もっとも上昇志向の強い中産階級を育て、もっとも分厚い貯蓄を持ち、世界の工場から世界のイノベーション・センターへとのし上がりつつある。
そのうえ、東アジアの国・地域はコロナ危機を世界のどこよりも機敏かつ効果的に対処している。コロナ後の世界は、その重心を西欧から東アジアへと一段と移していくに違いない。世界がアジアを追わなければならなくなるだろう。バイデン政権のアジア重視もまたその表れとみるべきである。求められるのは、アジアの新たな戦略環境の激変に応えるべく、アジアとともにアジアの安定と平和を構築するためのリバランシング戦略である。
アメリカのアジア・リバランシングの歴史
アメリカは、戦後、国際戦略環境の激変に対して、大胆なアジア・リバランシング戦略を追求し、地域の安定と平和を構築してきた。
最初のリバランシングは、戦後、トルーマン政権が冷戦の到来を背景に追求した。それを構想したのは、対ソ封じ込め論を提唱したジョージ・ケナン国務省政策企画局長だった。ケナンは満州事変から太平洋戦争に至る1930~1940年代のアジア戦略を根本的に見直し、それまでの中国重視のアジア政策を日本重視に切り替える“逆コース”を提言した。4年間近く敵味方で戦った日米は、戦後5年強で同盟国となった。日本はその後、ブレトンウッズ体制に迎え入れられた。それが戦後の日本の経済の奇跡を生んだ。
次のリバランシングは1970年代初頭のニクソン政権の対中接近政策である。ニクソン・キッシンジャーによるこの対中関与政策は対ソ勢力均衡とベトナムからの撤退を企図して中国と提携する戦略再編だった。中国はアジア太平洋におけるアメリカの軍事プレゼンスを事実上黙認し、その後、アメリカは中国と国交を樹立した。
中国は、アメリカ主導の国際秩序を受け入れ、改革・開放に向かった。それが鄧小平の中国の経済の奇跡をもたらした。アメリカは、この第1のリバランシングの上に第2のリバランシングを積み上げたことで70年に及ぶアジア太平洋の長い平和を築き上げたのである。
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