「総駆り立て体制」が生き辛さの根源である理由 「ニヒリズム」に毒された現代文明を解剖する

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途方もないニヒリズムに陥っている現代文明だからこそ「いかに生きるか」を自身で導かねばならないのかもしれない(写真:8x10/PIXTA) 
国家とは何か。国民とは何か。市民とは何か。法とは何か。主権とは何か。教育学者の古川雄嗣氏は、著書『大人の道徳 西洋近代思想を問い直す』で、このテーマを正面から論じている。
その同氏がこうしたことを考える契機となった思想家・佐伯啓思氏の主著ともいえる新刊『近代の虚妄 現代文明論序説』がこのたび上梓された。500ページ近い大著である本書では何が論じられているのか。また佐伯氏がこの本を今、世に問うた意味とは何なのか。古川氏が読み解いていく。

「思想家」としての佐伯啓思氏

本書の帯には、「日本を代表する知性による集大成かつ新境地」という文言が記されているが、これは実に的確に本書の性格を表現している。それはどういうことかを、まずは簡単に解説しておきたい。

『近代の虚妄 現代文明論序説』(書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします)

この記事を読んでおられる読者は、すでに著者・佐伯啓思氏のことは、ある程度ご存じかもしれない。が、そうでない読者もおられると思うので、まずは著者の紹介を――弟子というわけではないが、学生時代、著者に学んだこともある評者の立場から――しておこう。

著者は、しばしば「思想家」と肩書される。「○○学者」という専門的・科学的研究者ではなく、人間と社会(世界)のありよう全体を、まさに「総合的・俯瞰的」(言葉の正しい意味で!)に論じようとする人であるわけである。それは、「価値」を含んだ「ものの見方」を提示することであり、それこそがまさに「思想」というものにほかならない。

本書の第7章でも、自身の学問の歩みに関する「個人的回想」が記されているが、もともと著者は経済学を専攻していた。が、すぐにその関心は、むしろ「科学」を標榜する経済学という学問のいかがわしさを批判的に分析することのほうに傾いていった。

経済とは本来、人々の善き生に寄与するための一分野であるはずである。したがって、それは本来、政治とも不可分であるし、それぞれの国の歴史や文化、価値観や道徳観とも切り離して考えられるべきものではない。

そういう考えのもと、著者の思考は政治学や哲学、歴史学といった人文・社会諸科学へと幅広く裾野を広げ、それらを総合しつつ現代社会の諸問題を論じるものへと発展していったのである。

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