「総駆り立て体制」が生き辛さの根源である理由 「ニヒリズム」に毒された現代文明を解剖する
そして、そのあるがままの世界(自然)の内に、ある種の真理(道)もまた胚胎している。真理(道)は、自然のおのずからな展開において、おのずからみずからを現すのであり、人はいわばそれに随(したが)い、寄り添いながら生き、そして死んでいくことがよしとされた。
それが、例えば「もののあわれを知る」(本居宣長)ことであったり、「物となって見、物となって行う」(西田幾多郎)ということではなかったか。
思想の「新境地」へ
だとすれば、われわれはこのような日本の精神的伝統を想い起こし、それに立ち返ることで、西洋文明がもたらしたニヒリズムから、せめていくぶんかは脱却できるのではないか。少なくとも、ただただわけもわからないまま、ひたすら有用性や合理性や効率性へと駆り立てられる状況から、頭半分くらいは抜け出すことができるのではないか。
そういう意味での「精神的態度の転換」に、「一縷の希望を見たい」と、著者は本書を締めくくっている。
これが、著者の思想の「新境地」である。
その是非については、さまざまな議論の余地があるところであろうし、著者もまさにそれを望んでおられることと思う。私自身も、前掲の拙著『大人の道徳 西洋近代思想を問い直す』の中で、こうした著者の日本思想の捉え方については、若干批判めいた感想を書いたことがあるが、著者はそれを大いに歓迎してくれた。
著者が願っていることは、1人でも多くの日本人が、まずは現代文明が途方もないニヒリズムに陥ってしまっているということを、自覚すること、そして、その状況にあって、自分自身が「いかに生きるか」を改めて問うことである。そしてその際、日本思想の伝統が、何か大きなヒントを与えてくれるのではないかと、著者は問いかけている。
では、具体的にどのような伝統が、どのように、私たちの「生き方」を支えてくれるのだろうか。1人でも多くの日本人が、本書をきっかけに、そのような問いへと導かれることを、著者は願っていることと思う。
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