格闘家、起業…野球「元ドラフト1位」の波乱人生 戦力外から11年、古木克明が語る今の思い

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合同トライアウトではなかなか結果が出ない中、2013年にはハワイにある独立リーグのチーム「ハワイ・スターズ」に所属して試合に出続けたこともある。リーグ自体のレベルは決して高くなかった。それでも、ハワイでの日々が古木に新たな道に進むための「踏ん切り」をプレゼントしてくれることになった。

「もう、NPBへの復帰は現実的には難しい状況でした。でも、僕の心の中では『最後は試合をして終わりたい』という思いが強くなっていたんです。そうした中で、ハワイに行くチャンスをもらって試合をすることができた。ここでプレーしたことでようやく踏ん切りがついたんです」

独立リーグの試合に出続けたことで、引退への踏ん切りがようやくついた。TBSテレビ『プロ野球戦力外通告』は12月29日夜11時10分から放送(写真:TBSテレビ)

記録を見ると、ハワイ・スターズ時代の古木は2本のホームランを放っている。現役最後のホームランについて尋ねると、口調が滑らかになる。

「よく覚えていますよ。あれはサンフランシスコでの試合でした。確かサンラファエルだったかな? 僕らしいというのか、ちょっと泳いでちょこんと当たった打球だったんですけど、あまり弾道も上がらないミスショットだったのに、右中間に飛び込んだんですよね。

ハワイで思うような活躍ができたことも大きかったです。海外の野球を体感することもできたし、とても楽しかった」

現役生活に踏ん切りをつけることのできたハワイでの生活はこうして終わった。33歳、本人の言う「人生の模索期」は、まだまだ続くことになる。

「もっとでかいことをしたい」と大学院へ進学

「この頃の心境としては、『オレはもっとでかいことをしたいんだ!』という思いが強かったと思います。当時も、そして今も、『プロ野球選手時代の年俸を超える』というのが、僕の目標なんです」

帰国後、古木は突然「学生」となった。2014年春、事業構想大学院大学に入学。事業構想修士を目指すこととなったのだ。この時点では「ビジネスと野球」を結びつける今の業態のイメージは何もなかったという。

「事業で成功するためには事前の構想段階がとても重要になります。その構想を深く、よりよいものにするためにはどうすればいいのか? 自分自身がとても知りたかったことを学べそうだという思いで入学しました。

1年目は先生たちの言葉の意味がまったく理解できずに、『日本語で話してくれ』と思っていました。日本語でしゃべっているにもかかわらず(笑)。でも、2年生になる頃から少しずつ楽しくなっていったんです。今から思えば、この学生時代が僕の転機となりましたね」

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