キカイダーの矛盾
――まさにキカイダーは、自らのアイデンティティに悩むヒーローです。
白倉:彼は人間ではなくロボットであることを強烈に意識して、悩んでいる。つねに自分はいったい何者なのだと、ずっと突きつけられ続けているんですね。自分自身の問題が解決しないから、彼は敵を倒したとしてもうれしくない。自分がロボットだから、結局、ロボットが敵だと言い切ることができない。ますます矛盾していくわけです。
井上:父親である光明寺博士が作ったという意味では、兄弟ともいえるロボットたちと戦わないといけないというのは、実はすごく難しいテーマなんですよ。
――確かに、「仮面ライダー」や「サイボーグ009」といった作品でもそうでしたが、自らが所属していた組織と戦うことになるヒーローというのは、石ノ森作品に共通するテーマですね。
白倉:幸いにして、誰もキカイダーに世界を守れとか、地球をどうしろとは期待していないのですよ。ロボットだから。だからこそ逆説的に、ジロー=キカイダー自身が、自分の定義をどこに位置づけたらいいのだ、と悩んだ末にヒーロー性を獲得していく話になった。自分は何だと考えた結果、世界を救うヒーローになってしまったわけです。
だから、もともと石ノ森先生の原作にそういう要素があったにせよ、かつての70年代のときのような、社会のために自分を犠牲にしていく、社会ありきのヒーローとはまったく逆のベクトルになったわけです。自分のことを考えていたら、結果的に世界のことや社会とかかわることになったという、スタート時点とゴール地点がひっくり返ったという形。これは無理やり現代風にしようとしたからそうなったのではなく、「キカイダーとは何か」ということを突き詰めていくとそうなったということです。あらためて石ノ森章太郎という人のすごさを感じましたね。
――先見の明があった。
井上:先見の明と同時に普遍性ですね。「キカイダー」というものは少年性というか、成長期・思春期のカリカチュア(人物の描写)だと思っているのですよ。良心回路を持つロボットというアンバランスさがあって。将来が見えない不安感といった、思春期に抱く揺れ動く心のようなものが、良心回路を通して描かれているのだとしたら、キカイダー自身が少年であり、思春期の象徴だと思うのです。
特に今は思春期が非常に長くなっていて。昔だったら中高生で終わっていた悩みが、今では20代、30代、40代になってもまだまだ迷っていたり、悩み続けていたりしている。そうなればなるほど、キカイダーというものが、単なる思春期のカリカチュア(人物の描写)ではなく、もはや日本人のパーソナリティのカリカチュアになっているのではないかと。結果的に現代的なヒーローになっているのだなと感じています。
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