五輪125年の歴史、「デザイン」から見えた本質 資本主義、商業主義、都市文化の変遷を映す

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テレビの影響力に加えて、コンピューターを用いたデザイン、例えばDTPやCADなどのテクノロジーが導入されることによって、オリンピックのデザインはそのディテールも格段に精細さを増した。

とりわけ1992年のバルセロナ(夏季・スペイン)・アルベールヴィル(冬季・フランス)大会あたりから、コンピューター上のデザインが格段と進化しグリッドシステムによるレイアウトもより精密に表現できるようになり、テレビ放送の高解像度化するに従ってグラフィックの整合性は一層の洗練度を増したように思う。もちろんインターネットの登場によって、中継などのメディアも多様化している。そのため広告の余地は拡大するばかりだ。

科学や技術とは違うやり方で都市文化の神話を更新

オリンピックというメディアイベントに投入されたデザインワークにおいて、素朴に驚くべきこととして、それが科学や技術とは違うやり方で、都市文化の神話を更新しているという事実である。デザインは明らかにその一端を担っている。デザインワークを通じて、近代人は自らの身体と都市との間に、適切な予兆を残してきたのである。

『オリンピックデザイン全史 1896-2020』(河出書房新社)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

コロナ渦での東京オリンピックの延期だけでなく、絶えないドーピング、行きすぎたプロ化による選手の商品化など、商業主義を加速させてきたIOCの組織としてのあり方など、オリンピックの将来は必ずしも明るいわけではない。

クーベルタンがもともと啓蒙家であり、教育者であったことを考えると、国威発揚や商業主義はクーベルタンの理想、つまりオリンピック憲章とは真逆の方向性である。クーベルタンの理想が「国際平和」をもたらすような平和教育だったことを思い起こしてもう一度オリンピックを再興することができるかと問い直してみても、それはすぐさま妄想でしかないことに気づくだろう。

ただここでは、人々の知覚を特別な状態にする予兆を作り出すことがデザインの役割だとすると、『オリンピックデザイン全史』は予兆の集大成である。その過去の予兆を丹念にたどっていくと、そこから人々の知覚を特別な状態にしてきた20世紀に希望を与えてきた都市開発の歴史、メディアテクノロジーの進化、都市文化の変遷あるいはビジネスモデルの洗練度や成熟をじっくりと読み解くことができるだろう。

桂 英史 メディア論研究者、 東京藝術大学大学院映像研究科教授

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かつら えいし / Eishi Katsura

1959年生まれ。専門はメディア論、図書館情報学。

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