五輪125年の歴史、「デザイン」から見えた本質 資本主義、商業主義、都市文化の変遷を映す

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オリンピックはテレビ放送を中心としたメディアイベントとなったのだ。東京オリンピックがテレビ放送のオリンピックを決定的にしたことは言うまでないが、そこで使われたピクトグラムなどのデザインはその後のテレビ放送でも重要な補完要素としての役割を果たした。1960年には日本でもカラー放送がスタートし、1964年の東京オリンピックでは、開会式をはじめとして人気競技がカラー放送でテレビ中継された。

1968年のメキシコ大会あたりからはテレビ放送のカラー化を十分意識したカラースキーム(色彩計画)が展開されている。1994年からは実用化試験放送が開始され、1996年のアトランタオリンピックで始まったハイビジョン放送も、カラースキームだけでなくさまざまなマスコットの定着など、大きくデザインワークに影響を与えていることは間違いない。

メディアテクノロジーの技術革新を考慮しながら本書を読んでいくと、オリンピックがメディアイベントとして洗練度を高めていったことも実感できるであろう。

1984年ロス五輪が商業主義に大きく舵を切る契機に

1984年のロサンゼルス大会は商業主義に大きく舵を切る契機となった大会であることが知られているが、その商業主義は放映権のビジネスモデルを基礎としたものである。ロサンゼルス大会で、アメリカ合衆国のシンボルであるハクトウワシをモチーフにしたロバート・ムーアがオリンピック・マスコットとして採用されたことは、いま振り返るとオリンピックのメディアイベント化が宣言されている気もしてくる。 ロバート・ムーアがウォルト・ディズニー・カンパニーの製作であるからだ。

ロサンゼルス大会以降、オリンピックのグローバルなメディアイベント化はますます加速していった。また再現性と拡張性の高いコンピューターによるデザインは明らかにオリンピック関連グッズを数多く市場に送り出すことにもなる。イベントに関連する2次的なグッズのマーケットが拡大して、ますます商業主義の色は濃くなっていった。

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