享年35歳の筋ジス患者が親指2本で遺した足跡 1998年逝去、4代にわたって今もサイトは現存

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表現できるよろこびを得た一方で身体の衰えは止まらない。すでに体外式人工呼吸器では追いつかないほど呼吸が厳しくなっていたため、翌年に気管切開手術を受けた。施術の後は声が出なくなる可能性もあったが、主治医の福永秀敏さんのことを信頼していたし、表現手段はすでに確保できている。迷いはなかった。

手術は成功。幸いにもしばらくしてある程度の声も出せるようにもなった。完全に寝たきりとなったが、パソコン操作は格段に楽になった。それまで興味のなかった詩も書きたくなった。

そんな折、「せっかくだから自分史でも書いてみたら?」と福永医師に勧められた。心に火がついた。どうせなら生きているうちに出版したい。そうして執筆を始めたのがこれまでたびたび引用している『光彩』だ。1993年4月、30歳のときに目標どおり出版にこぎつけた。

その前年には、寝たきりでパソコン通信している青年としてNHKから取材も受けている。その様子が全国で放送され、一般層にも轟木さんの存在が広く知れ渡るきっかけとなった。ここに至り、社会の扉はこれまで以上に大きく開けた。

「轟木敏秀のホームページ」が開設されたのはそれから数年経った頃だ。時代は1990年代後半。利用できるのなら手を出さない理由はなかった。地元のプロバイダーと契約してホームページ用のスペースを取得すると、冒頭のように改めて自己紹介の文章を綴った。

すでに30代になって久しく、身体は親指2本がかすかに動くのみ。轟木さんの人生において、インターネットとの出会いは最晩年の出来事だったといえる。本人による最終更新は1998年5月13日。そこに添えられたメモは普段通りの口調だった。

トップページの末に更新日とひとことメモが残る
すっかり夏になってしまいました。熱帯夜の連続、暑い!暑い!
皆さん夏バテには気をつけて下さいね。私はこの暑さにちょっとマイッテます。
(トップページのメモ書きより)

濃い交流に押しつけも遠慮もいらない

『光彩』と比べて、「轟木敏秀のホームページ」は読者に議論を呼びかける意識が強く出ている。

性処理の必要性を説く「マスターベーションについて」や、引用した「死を考えること」、ほかにも「障害者という壁を作っている?」や「出生前診断に思う」など、現代でもタブー視されることが多いテーマを単刀直入に投げかけている。

そこに押しつけのようなものはなく、それでいて自身の体験と考えはしっかり綴っていて、とてもフェアな空気が流れている。とにかく積極的に他者と交流したいという轟木さんの性格が端的に表れているように感じた。一方通行の主張を聞いてもらうのはつまらない。遠慮しあってもつまらない。双方向で濃い会話をしたい──。

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