享年35歳の筋ジス患者が親指2本で遺した足跡 1998年逝去、4代にわたって今もサイトは現存

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出生前診断の是非について論じるページに、本音をむき出しにして論議を求める印象的な表現があるので引用したい。

論議を促すメッセージを添えたページが複数ある
現在,私のような重度の患者は,現実には既に治療の対象ではないように思う.かと言って,治りたいと思わない訳ではないし,このままでいいとも思わない.また諦めたり,開き直ってる訳でもない.現実問題として,今こそ真剣に自分のことばかり考えるのではなく,未来のために考えなければならない.
もしも「あなたはデュシャンヌ型だから,人間失格です.」と言われたとすると,素直に認めるしか術を持たない.大事なのは自己の存在,自己の思想である.
(「出生前診断に思う」より)

1990年代後半の当時、個人サイトは「誰でもどこでも全世界に向けて好きなことを発信できる」画期的な趣味としてもてはやされていた。轟木さんのこのサイトはその最たるものだと思う。身体の状態も問わず、時代も問わず、今も世界に向けて発信している。

轟木さんの生年や病気の進行、あるいはテクノロジーの進化のタイミングがわずかにずれていたら、おそらくこのサイトは存在していない。同じく、新しい機械に興味を持ち、積極的に交流する轟木さんの性格と、呼応して協力する周囲の人々がいなくても存在していないだろう。だから、いまこうして読めることは「とてつもなく希少な結果」だと感じる。

「時代を問わず」発信できている背景

このサイトが「時代を問わず」発信できている背景をもう一段掘り下げたい。

管理人が亡くなったサイトは放置されることがしばしばある。家族や周囲の人がサイトの存在に気づかなかったり、気づいてもログイン情報がわからないなどの理由で手出しできなくなったりするのが理由だ。そこから忘れられた存在になったり、ときには荒らされたりもする。

轟木さんのサイトはそうはならなかった。亡くなった直後、家族や周囲の人と話し合い、主治医だった福永医師が著作権を継承。トップページに訃報を載せた以外は手を加えず、静かにサイトを守り続けた。福永医師は「筋ジス病棟の医師としても、轟木君のこのサイトをそのまま失うのは惜しいと思いました。何としても残したいという思いは皆で一致していたと思います」と当時を振り返る。

オリジナルサイトのアーカイブ(Internet Archiveより)
次ページ現存するサイトは誰が引き継いだのか?
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