しかし、管理していても何年も現状維持を続けるのは難しい。提供元がサービスを終了することもあるし、直接間接のコストがかかる場合はその負担を誰が担うかという問題も出てくる。実際、冒頭で触れたとおり、地元のプロバイダーのサービスを利用したオリジナルのページは2007年頃に消失している。
現存するサイトは、2000年頃にKBマウス開発者の畠山卓朗さんが引き継いだものだ。自身のホームページの下層に轟木さんのミラーサイトを置き、そこに『光彩』(復刻版)のPDFも添えた。
畠山さんは2016年の年の瀬に悪性リンパ腫により亡くなっている。現在は、遺志を継いだ5人の研究者が畠山さんのサイトをメモリアルページとし、そこに紐付いた轟木さんのサイトも管理している。
5人のうちの1人が、医療現場と大学でリハビリテーションを長年研究してきた伊藤英一さんだ。
墓標ではない。生きている。
伊藤さんは「畠山さんのサイトも轟木さんのサイトもそれぞれ貴重な情報ですので、できる限りすべて残そうと努めました。墓標というよりも、まだわれわれの意識のうえでは生きておられると考えるのが妥当なのかもしれません。これができたのも畠山さんのお人柄の賜物かと思います」と語る。
4代にわたってサイトが管理されていることで、私たちはいつでもどこでも轟木さんの思考と記録が追体験できる。言葉にしない、できない苦痛は山のようにあっただろう。触れられるのは轟木さんのほんの一部だ。けれど、そのほんの一部がそのままの状態で20年以上残っているのは、やっぱりすごいことだと思う。
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