「番組に罪はない」論争がテレビ業界にないワケ 伊藤健太郎さんの逮捕問題で考える

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ピエール瀧の逮捕後、配給会社の社長が会見をし「中止または延期、編集したうえでの公開、ノーカットでの公開など議論が重ねられましたが結論に至らず、配給担当の弊社の判断で、ノーカットのまま公開することにいたしました」と明言した。しかし、テレビの地上波放送は、差し替えや放送中止となる場合が多い。なぜか。

それは、『もう撮ってしまったもの』と『これから収録するもの』という違いがありますね。とはいえ、映画などでも撮影中に事件が発生した場合は、中止や代役への切り替えになる場合があります。また、入場料を取るといっても舞台などは代役をたてることになります。撮影済み、放送中であっても、CMに関してはほぼ放送中止の扱いになります」(同記者)

なぜ、“番組に罪はない”論争は起きない?

実際、伊藤容疑者が出演しているCMはすべてネット上の動画を削除した。各メディアには立ち位置の違いがあり、中でもテレビは特別だ。「テレビはスポンサーのCM収入で成り立っている」というのは、あるテレビ関係者。

テレビ番組は、“作品”ではなく“商品”という考え方なんです。イメージのよくないタレントが番組に起用されないのと似ていて、逮捕されたことでそのイメージが悪化したら、番組は“商品”にならなくなってしまう。だからタレントが不祥事を起こしたら差し替えましょう、ということになる」(同関係者)

広告が売れない今、テレビ局の立場はますます弱くなり、局はスポンサー企業をより大切にしないといけないというわけだ。

テレビは差し替えもしくは中止、映画は再編集せずに時期を見るなど、ケースバイケースで公開するとうい現在の流れは、今後も続くと前出のテレビ関係者は言うが、その流れが変わる可能性はあるのだろうか。

あるとするなら、世の中の反応が『番組に罪はない』となるのならという場合です。しかし、テレビ局という巨大な組織に対して、『かわいそう』という感情を抱く人はおそらく多くありません。そう思われる段階には至っていませんね

「番組に罪はない!」「それでも見たい!」「差し替え作業するスタッフや出演者が気の毒」といった見方をしてもらう番組づくりが求められる。

(取材・文/渋谷恭太郎)

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