創業より難しい2世のわな 後を継いではみたけれど…

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有利なはずの2世なのに、なぜか挫折や失敗も珍しくない。カメラの前で深々と頭を下げて謝罪する2世経営者たち。しっかり勉強もしてきたはずなのに、どこで道を踏み外したのか。

自分には、追い風が吹いているはずだった。

日本は高齢化社会に突入し、患者は増えていく。

「先んじて態勢を整えれば、ライバルを蹴落とせると思った」

東京都内の私鉄沿線の駅から徒歩5分。そこで10床ほどの入院ベッドがある内科の個人病院を7年前に継いだAさん(45)は、自信満々だった。

父親は1970年代に病院を開き、30年かけて少しずつ育てた。後継者になるため私立の医大を出て、大病院で経験を積んでいると、父親の急死で呼び戻された。

手をつけたのは病院の全面デジタル化。患者の管理にも便利で、医大でもデジタル医療の時代だと教わったからだ。

1台1千万円のCTスキャナやデジタルX線撮影機、電子カルテシステム500万円……。医療機器メーカーの営業担当者に「いまのうちに投資したほうがいいですよ。いまは金利も低いし、輸入品だと円高なので割安にもなります」と勧められて乗った。

老朽化していた建物の改修も済ませ、出費は1億円を超えたが、銀行から借りて20年間の返済計画をつくった。

診療は雇った医者任せ

テクノロジーにはこだわったが、経営にはうとく、実は医療にはあまり関心がなかった。進んで選んだ仕事でもない。診療は主に雇った医師に任せ、院長室でオンラインゲームを楽しみ、フェイスブックで仲間と遊びの情報交換をし、趣味のスポーツカーに夢中になった。

ところが設備はいいのに患者が減り始めた。理由が分からなかった。父親が残した資金も底をつき、がさっとスタッフを減らすと、院内の雰囲気が殺伐としてさらに患者が逃げた。

父の代からの患者たちは必ずしも先端医療を求めていない、と気づいたときは遅かった。3年前に駅前に新しい病院ができ、とどめをさされた。病院を譲り、再び大病院の勤務に戻って細々と借金を返す日々だ。

「地域では医は仁術ということを忘れていた。いま思えば、形から入ろうとしていた」

戦争でも、攻めるよりも守るほうが難しいと言われる。2世、3世が先代の事業を「受け継ぐ」ことは、創業・起業よりもある意味、大変なのだ。

元神戸製鋼所専務の佐伯弘文さんが5年前、自らの体験をもとに『だから、二世・三世経営者はダメなのだ!』(WAC)という本を出版したところ、各地の経営者グループから講演依頼がどっと押し寄せた。

「日本の企業の99%が中小企業で、多くの中小企業はオーナー経営で後継者は家族。実は2世や3世の問題は日本経済にとって、きわめて深刻な問題なのです」

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