昔、「戦車に竹槍」と言われました。それと同じことです。
私たちが子どもの頃に教え込まれたのは、「日本が戦争でアメリカに負けたのは、アメリカ人は計算機を使ったが、日本人はそろばんしか使えなかったからだ」ということでした。
第2次大戦当時、アメリカではパンチカード計算機が実用化されていました。また、開発されたばかりの電子計算機ENIACが、原子爆弾の設計に使われました。
他方、日本ではそろばんと計算尺しか使えませんでした。
私の世代の多くの者が理学部や工学部に進んだのは、この屈辱感をなんとかして覆したいと思ったからです。
1980年代に日本のコンピューター産業が成長し、世界のトップグループに入れるようになったとき、情報技術における日本の立ち遅れは終わったと、誇らしく思いました。しかし、現実には、上で述べたような実情がいまに至るまで続いているのです。
やり方はあるはず
何とか、うまい解決方法を見いだせないものでしょうか?
メールのアドレスを公開すると、迷惑メールが押し寄せる危険があります。
ですから、メールのアドレスを公開しなくてもよいと思います。あるいは、「アドレスを公開するが、必ず返信するわけではない」ということにしておいてもよいでしょう。
したがって、最初の受け付けが電話になるのは、やむをえないと思います。
しかし、そこで連絡が確立し、こちらが迷惑メール発信者でないと確認したら、あとのやりとりはメールでやらせてほしいのです。とりわけ、詳しい情報の送受信は、メールの利用を認めてほしいと思います。
こうしたことを実現するには、事務処理システムを整備する必要があります。メールのアドレスは、個人用のものでなく、組織のものとする必要があるでしょう。したがって、複数の人が対応することとなるでしょうが、責任体制などを確立する必要があります。
これは、決して簡単なことではないでしょう。
しかし、メールという新しい通信手段を得たわれわれは、新しい仕事のやり方を確立する必要があるのです。
菅義偉内閣は、行政手続きのデジタル化を進め、脱ハンコを進めるとしています。
それはよいことだと思います。
しかし、それと、ここで考えている問題とは別のものです。
行政デジタル化で考えられているのは、正式な申請書類です。
しかし、こうした申請は、そう頻繁に必要になることではありません。多分、数年に1回程度でしょう。引っ越しの手続きなど、一生に数回しかありません。
だから、仮に正式な行政申請手続きをデジタル化したところで、ほとんど何も変わらないでしょう。われわれの日常生活が、飛躍的に便利になるわけではありません。
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