――まさに「知らない世界」だった。
そのとき「撮らなければ」と思ったんですよ。これはちゃんと記録として撮っておいたほうがいいのではないかと。
その直後に両国国技館で相撲を見たのですが、それこそ館内のお祭り的な空気や歓声、盛り上がり、そこで力士がぶつかり合う音。そして一瞬で決着ついたときのみんなのざわめき。これは全部、相撲中継では表現されていないなと感じたんです。その時、これはきちんと大スクリーンに映すようなものに記録しなければと思って、映画を撮ろうと決めたんです。
これだけお金をかけている人はいない
――完成された作品を見ると、結構採算度外視で作られた印象を受けました。
採算で言うと、ドキュメンタリー映画でこれだけお金をかけている人はいないと思います。カメラもすごくいいものを使っています。
琴剣さんにコーディネートしてもらって日本相撲協会と交渉したのですが、相撲ファンの裾野を広げたいという協会側と僕がお願いしたタイミングが運良く合った。たまたまオッケーが出たかもしれないのに、自分の手持ちのカメラで、地上波レベルの映像で作ったらそれは意味がないと思ったんです。
しっかりと美しい画面で記録して、後から見ても「お相撲さんってすごいよね」というものを作っておきたかった。今後、撮れる人もいないかもしれないから、映像にもこだわったし、音にもこだわりましたし、本当にドキュメンタリー映画の金額じゃないんですよ(笑)。
――相撲を記録したいという衝動で始まった企画ということですね。
だからまったくお金の計算もしていなかったんです。そもそも最初は配給会社も決まっていなかったですし。自分の撮る作品のイメージができていて、こう撮ったら絶対にみんなが面白がってくれるなって思って撮っていたんですけど、プロデューサーはずっと不安だったと思います(笑)。
――それは(所属する)TBSとは別のところで動かれたのでしょうか。
そうです。まずTBSの映画事業部に企画書を持っていったんですが、ストレートに言うと、ビジネスにならないからやらないと言われた。
――採算度外視の企画になるだろうというのが見えていたということですね。
そう。だから言いましたよ。「日本のためにやるんだ」と(笑)。でもそういうことじゃないんだろうなと思って。そりゃサラリーマンだから、担当した作品が当たらなかったら自分の責任になってしまう。だったら自分で撮ろうと決めて。会社に副業申請を出して、許可をもらって。たまっていた有給と休日を使って、撮影を進めていったんです。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら