自分の評価を極端に気にする人が心を病む理屈 不安が高じて孤立すればますます行き詰まる
言われてみればインターネット上に蔓延する“人を蔑む言葉”の数々も、その多くは相手の“不都合な真実”をあげつらったものばかりだ。また、人が“不都合な真実”に敏感になってしまいがちだという指摘を目にして、自分自身にも当てはまると感じた人もいるだろう(かくいう私がそうであった)。
もちろん、そうしたことを大した問題ではないとやり過ごせる人もいるはずだ。とはいえ小さなストレスであったとしても、それらが積み重なれば、なにか別の困難に遭遇したときの抵抗力が大きく後退することになる可能性はある。
その結果、神経が過敏になって、アルコール依存に走ったり、他人の発言に過剰反応したり、怒りっぽい性格だと見られたりするようになるわけだ。一方、神経質になれば、ますます引っ込み思案になるということも考えられる。
社会不安が高じて孤立するのはとても危険
これがやや極端な例であったとしても、似たような傾向は現代を生きる人々の中に多少なりとも存在するように思える。しかし著者も言うように、社会不安が高じて孤立することはとても危険だ。孤立すればするほど、そのはけ口を外部に向けようとするものでもある。
それは、ネットやSNSを通じて他者を必要以上に糾弾してしまうような流れとも、どこかでつながっているような気がしてならない。
世界中の至るところで、あるいは個々人の周囲で分断が深まる状況にあるからこそ、改めてこのことについて考えてみてもいいだろう。
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