福岡出身の芸能人が多い起源は「山笠」にあった

タモリ、黒木瞳などそうそうたる顔ぶれ

福岡の食文化を代表するものといえば、豚骨ラーメンと明太子であろう。いずれも福岡がアジア世界とつながった国際都市であったから生まれた食文化と言うことができる。

豚骨ラーメンの起源については諸説ある。ひとつは、長崎県出身の人物が営む久留米のラーメン店が、「当時横浜で流行していた支那竹入りの支那そば」と、出身地の「長崎ちゃんぽんの豚骨ベースのスープ」をもとにして豚骨ラーメンを考案したというもの。

もうひとつは、博多駅近くの屋台の店主が、中国の奉天(現・瀋陽)で食した白濁豚骨スープの麺「十銭そば」をヒントにラーメンを提供するようになったのが始まりとするものである。

いずれにしても1930(昭和5)~1940(昭和15)年代ごろから、福岡では豚骨ラーメンが作られて食されるようになったようである。それまでのラーメンといえば、いわゆる「支那そば」と呼ばれる醬油ベースのあっさりしたものが主流であった。

しかし、朝鮮や中国と行き来していた人も多かった当時の福岡においては、豚骨をベースとした濃厚な味が、むしろ受け入れられたのだろう。

釜山での記憶から明太子を開発

もう一方の福岡を代表する食文化である明太子の起源については、朝鮮語でスケトウダラのことを「明太(ミョンテ)」と呼ぶのに由来したとする説が一般的である。

それが現在の辛子明太子の形になるまでの歴史については諸説あるが、ひとつには、日露戦争直後から太平洋戦争中にかけて、下関と釜山との間で運航されていた関釜連絡船によって、スケトウダラの卵巣の辛子漬け(明卵漬)が下関へ輸入されたというのがある。

このころの朝鮮の明卵漬は、スケトウダラの卵巣を唐辛子やニンニクで漬け込んだものであり、キムチに近いものであったといわれている。

戦後になって、後に「ふくや」を創業する川原俊夫が、若いころに釜山で食べた明卵漬の記憶をもとに、調味液に漬け込んで味付けする辛子明太子を開発した。これが次第に評判となり、昭和30年代半ばになると多くの同業者が設立され、昭和50年に山陽新幹線が博多まで開通すると、一気に全国に広がるようになった。

興味深いことは、今では福岡を代表する食文化である豚骨ラーメンも明太子も、いずれもその歴史は意外に浅いことと、朝鮮や中国の料理や味がもととなり、それが福岡で改良されて、福岡の名物として定着するようになったことである。

こうした外国の文化を取り入れて自分の文化に取り込んでしまうところも、福岡の土地柄と言えるだろう。福岡の人々の気質として「旧習打破」の精神があるように、私には思える。それは福岡の地理的な環境と密接に結びついている可能性が高い。

福岡は日本列島の中でも、朝鮮半島・中国大陸に最も近く、日本の歴史を通じてアジア世界への玄関口となってきた。そのため新しい文化が最初にもたらされる土地であった。

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