京大前総長「哲学なき技術先行時代は終わる」 世界を激変させる「老化は病気」という認識
私は内閣府の総合科学技術・イノベーション会議にこの9月まで参加していましたが、1995年に施行された科学技術基本法には、科学技術の定義について「人文科学のみに係るものを除く」という文言がありました。人文科学は、科学技術には関係ないと言い切っていたわけです。
しかし、やはりそうはいかない。人文科学は、科学技術を社会に実装したり、科学技術によってイノベーションを起こす際に絶対に不可欠なものだとみんなが認識するようになり、今年、新たに科学技術・イノベーション基本法として施行された法律からは、その文言が取り払われました。
実際、新型コロナ禍でいちばん声を上げているのは、哲学者と歴史学者です。ウイルス対策のために、世界、社会、そして倫理が変わってしまうことを恐れているからです。今後の世界をどのように設計し、人々の生活を安定させるかということは、もう技術屋だけに任せておくことはできません。
「経済優先」から「社会優先」へ
これまでは、技術者が政治をつくってきました。日本を眺めても、コンクリートのインフラが発達し、道路網、航空網が完備し、ライフラインの輸送システムが機能している。すべて技術の賜物です。技術があるから、都市設計ができた。
しかし、それによって社会や暮らしが一転してしまったというのも事実です。昔ながらの共同体は消失し、シャッター街や限界集落が生まれた。人々の暮らしは大企業にのっとられ、ネットワーク化され、都市集中がひどくなっている。そのように設計した結果ではなく、技術を適用して、よりよい暮らしを求めた結果です。
それを「経済優先の社会」と呼びますが、これからは「社会優先の経済」「社会優先の技術」にしていかなければなりません。ここで必要なのは、社会とは何か、人間とは何かということを根本的に問い直すことでしょう。
技術が発展する速度は、これまで以上に速い。AIの出現によって、効率的・生産的なものがますます増えていきます。しかし、それは人間が考え出したものではなく、人間に適用すれば誤るかもしれない。人を救うために考えたものが、人を全滅させることにつながるかもしれないわけです。
これは原爆よりも恐ろしい。人間そのものをつくり変える技術、それをどこまで発展させていいのか。『ライフスパン』は、図らずもこの問いを提示していますね。
(後半につづく)
[構成/泉美木蘭]
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