太田光「負けた時に悔しがれる人間感情の尊さ」 テクノロジーが進化しても変わらない人間根幹

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もしも、坂本龍馬が現代に生を受けていたとしても、常に未来を夢見て、自由な発想でなにものにも囚われない我々が好きな龍馬像そのものだったのなら、現代の人も彼の生き様をきっとおもしろがるだろう。

子どもの描く「未来予想図」が変わってきているという。我々が子どもの頃は、手塚治虫が描いた『メトロポリス』のように、透明なチューブのなかを車が走っていたり、細長いビル群が立ち並ぶ都会的なものだった。けれど、最近の子どもは動物と人間が仲よく暮らしているような自然の絵を描くことが多いのだそうだ。

俺が子どもの時にはじめて映画館で見たのは『ゴジラ対ヘドラ』で、作中にはゆきすぎた科学への警鐘が鳴らされていたし、ゴジラ自体が核実験の産物なわけでね。それでも、手塚治虫的近未来に俺たちはワクワクしてカッコいいと思ったけれど、最近の子どもたちが「自然と共存する人間」をカッコいいと思い描いているとしたら、興味深いし、おもしろい。

人間は負けた時に悔しがれる

はたして、未来のAIは、どこまで進歩するのだろう。これは俺の予想でしかないけれど、人間が持つ大切な心のありさままでは再現できないような気がしている。たとえば、悲しんだり、悔しがったりするということ。

AI関連のニュースでよく話題になる棋士対コンピュータの対決が象徴的なんだけど、そりゃあ過去の棋譜をビッグデータを駆使してすべて学習させたコンピュータのほうが強いのは当たり前だ。

でも、大切なのはそこじゃなくて、人間は負けた時に悔しがれるということ。直近の対決でも任を負った棋士は「敗けてしまった。将棋界を背負ってきたのに」と自責の念にかられたはず。

そして彼は、その敗北を次なる戦いに生かすはずだ。まさに人間らしい感情の揺れとそのあとに連なる行動力。時に、人間のそういう感情の揺れが愚かな行動を引き起こしてしまうことがあるにせよ、俺は「ちゃんと悲しめる」ことこそが、人間のすばらしさだと思う。

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