太田光「負けた時に悔しがれる人間感情の尊さ」 テクノロジーが進化しても変わらない人間根幹

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そもそも俺は、科学の進歩や最新テクノロジーに対してネガティブな印象を持つことがほとんどない。

2ちゃんねるの登場の時だけは、「子どもにこんないじめの場所が存在していいのか?」と思ったけど、物心ついた頃から2ちゃんねるがある前提で生活している子どもたちは、たとえば「死ね」という言葉の重みも俺たちの時代と違って軽いのではないか。だったら大丈夫なのかなとも近頃では思っている。

AIの進歩で驚いたのは、最近知った医学の現場のニュースだった。優秀な医者でも判別不可能だった癌の種類を、そのAIはわずか数秒で弾きだしていた。理論上は世界中の臨床データを蓄積できるAIだからこそなせる「仕事」で、結果的に非常に珍しい類の癌だったそうで、それじゃあ、どんなに優秀な医師でも発見できる確率は低い。

ほかにも、介護用のスーツのようなものを着るだけで、寝たきりの病人を楽々と抱え上げられる技術も開発されていた。癌が早期発見される可能性が高まったり、介護にかかわる人たちが楽になるかもしれない科学の進歩は、単純にすごいなぁと俺は思う。じゃあ、表現の世界はどうか?

漫才ロボットが演じる時代は来る?

ある実験では、本当はAIが書いた小説なのに、グループAには「AIが書いた小説です」と知らせて、グループBには「作家が書いた小説です」と告げて読んでもらったそうだ。もちろん、書かれた小説は同じ内容でね。

結果はどうだったか。グループAの人たちは「やっぱりなにかが物足りない。もっとぬくもりがほしい」と言い、グループBの人たちは「すばらしい!」と褒めちぎったという。結局、そういうことなんだと思う。つまり、そこまでのレベルにまで、すでにAIは到達しているということ。

その理屈で言えば、漫才のネタもAIは書ける可能性が高い。ただ、それを演じる漫才ロボットのようなものが登場するには、もう少し時間がかかると思う。演じる側の「間」であったり、表情の妙ひとつで漫才のウケは確実に変わるものだから、それを実現できるのは、もう少し先の未来の話になるだろう。

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