太田光「負けた時に悔しがれる人間感情の尊さ」 テクノロジーが進化しても変わらない人間根幹

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俺はそのテーマって充分に小説になりうると思うんだけど、『三田文学』のバカな小説家たちは「君、そんなもんが文学になるかよ」と一笑に付したんだって。星新一さんは、絶望的な気分になったらしいんだけど、好きだの嫌いだの恋だのだけが小説だと思っていた連中には、科学的なことが文学たりうる先見性はなかったのだろう。

星さんの小説のなかに『おーいでてこーい』という掌編がある。そもそも、星さんの作品はほとんどが掌編なんだけど(笑)、ある空き地に穴があって「おーいでてこーい」と叫んでもなんの反響もない。

よくわからない穴なんだけど、そこに向かってぽいっとなにかを投げるとそのまま吸い込まれてしまって戻ってこない。犯罪者たちは証拠物件を穴に投げ込んだりする。もちろん、吸い込まれたまま戻ってこない。

これは便利だと、多くの人がゴミや、それこそ産業廃棄物の類までをその穴に捨てていくようになる。よかったよかった、これは魔法の穴だと人々が思っていると、少し先の未来に、どかどかと穴に捨てたはずのゴミが空から落ちてくるというストーリー。これって、現代にも通用する普遍性が描かれていると思うし、その点こそが、星新一「文学」のすばらしいところだ。

人間の根幹部分は変わらない

テクノロジーも時代も、「側」は変わるということ。ならば、すばらしき表現とは、変わっていくこと自体がすごいのではなく、変わっていないことを描くということ。

産業革命の前後でも「側」は変わったし、世紀のAIの進化でも変わるだろう。タクシードライバーという職種はなくなってオートメーション化された車そのものが人々を移動させてくれるのかもしれないし、漫才ロボットコンビも登場するのかもしれない。

それでも、人間の根幹部分は変わらないはずだ。どういうことに悲しみを感じるのか? なにに感動して、どんな時に笑うのか? むしろ、そういう部分を描いているからこそ、星さんをがっかりさせたバカ小説家もどきではない本物の作家がかつて書いた作品は時代を超えていま読んでも感動するし、人間そのものだってそう。

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