それは架純さんにとって、「とんでもない」手紙でした。父親が犯罪者になっていたことへのショックと、母親に宛てた手紙を読んでしまったことへの罪悪感。誰にも話すことができず、むしろ「母親の前で不用意に父親の話題を出すのはやめよう」と思ったといいます。
普段は以前と変わらず、活発に過ごしていましたが、中学校の授業で「薬物乱用防止」のビデオを見たときは泣いてしまいました。「薬物中毒者は人間ではない、人間をやめたのだ」と言われ、「薬物中毒者の娘である私も、人間ではないのか」と感じてしまったのです。
「人間やめますか?」という薬物防止のキャッチフレーズは、依存症患者を追い詰め、回復をより困難にするものであることが認識され、最近はあまり見かけなくなりましたが、実は依存症患者本人だけではなく、その子どもたちのことも、ひどく苦しめていたのです。
娘には優しく、厳しかった父親への思い
服役していた父親が「帰ってきた」のは、中2のときでした。この頃、祖父母は架純さん一家のすぐ「裏の家」に住んでおり、父親もそこで暮らすようになったのです。架純さんには、戸惑う気持ちと、うれしい気持ちが両方ありましたが、弟はただただうれしかったようで、毎日のように「裏の家」に行って父親と過ごしていたそう。
母親は内心、複雑だったでしょう。以前、父親が一時帰宅した際、母がインターホン越しに「帰ってよ!」と怒鳴っていたことを、架純さんは覚えていました。一方的に離婚を告げた父親に対し、怒りがなかったはずはありません。しかし母親は、子どもたちの前ではいっさい父親の悪口を言わなかったといいます。
「すごいな、と思います。私や弟が『お父さんに会いたいな』と言ったとき、『あんな男、父親だと思うのはやめなさい』とか、そういうことは一度も言われたことがないので。
大人になってから『なんでそういうことを言わなかったの?』って聞いたら、『どんな人であっても、あなたたちにとって父親であることに変わりはないから。自分の親を嫌いになるのは悲しいし、つらいことかなと思ったから、ママはそういうことは言わなかった』って。
そういうふうに育ててくれたことには、すごく感謝してます。自分の血縁って、ある意味1つのアイデンティティーじゃないですか。それを悪く言われるのは、少なからず自分の一部も否定されることになると思うから」
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