その後、弟は大学生のときにアルコール依存症になってしまい、一時は入院して治療を受けていたといいます。父親の事件との関係はわかりません。「でももう立ち直って、いまでは私をたくましく支えてくれる、立派な、優しい大人になりました」と架純さんは話します。
弟には見せられなかった、父親から来た手紙
架純さん自身は、父親の犯行で周囲から責められたりはしなかったものの、それでも大きな苦しみを抱えて生きてきました。それは、なぜだったのか? 理由の1つは、「私たち(架純さんと弟)がそばにいるだけではダメだった(父の支えになれなかった)」という思いだといいます。
もう1つは、架純さんは亡くなった女性と面識があり、「私のことも応援してくれる、優しい人だな」と好感を抱いていたことです。
また親しく話したことはなかったものの、女性の子どもたちとも面識があったといいます。亡くなった女性や子どもたちのことを想像すると、とてもやりきれませんが、そのやりきれなさと架純さんは向き合ってきたのです。
最も苦しんだのは、父親から送られた1通の手紙です。大学生のときに初めて、弟とともに刑務所へ父親の面会に行ったのですが、その後父親が送ってきた手紙に「お父さんは、君たちを守るためにやった」と書かれていたのです。
真相はわかりませんが、父親は殺害した女性とその兄が手を組み、架純さんや弟を傷つけようとしていたと信じており、それを防ぐために罪を犯したのだというのです。架純さんには、耐えがたい話でした。
「だって、自分を守るためにお父さんが人を殺しているっていうことですよ。『私は一生幸せになれない』と思いました。聞きたくなかったです。お父さんが私や弟のことを大事に思っていたのはわかったけれど、それでも、やっていいことと悪いことがある。弟には、この手紙のことは言っていません」
この頃が、いちばんつらい時期でした。なんでもないときにふと父親や事件のことを思い出し、涙が止まらなくなることも。高校を出て地元を離れ、やっと「新しい人生を始められる」という希望があったのに、実際はまったくそんなふうにはいかなかったのです。
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