「フェイク」と「ポピュリズム」は民主主義の本質 「事実らしく見える価値」を人々は求めている

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フェイクという外装の向こう側に、覆われた「真実」や「事実」などというものは存在しないという現実があらわになったのである。少し逆説を弄せば、現象の背後に隠された「真実」など存在しないということが今日の「真実」なのである。これはアメリカだけのことではない。ヨーロッパでもほぼ似たような政治状況が生まれており、ここでも「フェイク」と「ポピュリズム」という「むき出しの民主主義」が跋扈(ばっこ)している。

ヨーロッパにおいても、今日、ポピュリズムは民主主義に敵対する非難語になっているが、ポピュリズムをその言葉どおりに理解すれば、ポピュリズムとは、民衆の要求や情念によって政治が動くこと(民衆主義)であり、ポピュリズムを民主主義と対立させることなどできるはずはない。民主主義はその本質にポピュリズムを胚胎しているのだ。したがって、アメリカにおけるトランプ大統領の誕生が民主主義への脅威を生み出したのではなく、すでに「何か」がうまく機能しなくなったのである。

民主主義という政治体制がトランプ大統領を生み出したのであった。トランプが、あるいはヨーロッパの「ポピュリスト」や「極右」と指弾される右派政治家が民主主義を危機に陥れているのではなく、民主主義が本来持っていた危機的様相が現実化することによって、トランプ現象が発火してしまったのである。民主主義をかろうじて機能させていた「何か」が崩れ去った、ということである。

「常識」は民主主義から生まれない

しばしばいわれるように、立憲主義や法規範、高い市民意識などが民主政治を支えているのではなく、寛容と自制心という不文律、見えない規範がそれを支えているのだ。私は、そこにもうひとつ「手続きへの信頼」をあげておきたいが、これもまた不文律である。

この「手続きへの信頼」には、政党への信頼や政治システム(政党政治、議会政治、正当な内閣、投票システムなど)への信頼も含まれる。そして、これらの「暗黙の規範」そのものは、民主主義の中から生み出されるわけではないのだ。

それは、ひとつの国の自生的な文化や歴史的経験、社会的な意識の中で形成されるほかない。「習俗(モーレス)」というほかない。「コモンセンス」つまり「常識」である。

だが、「モーレス」は、その国によって違っている。そして、それはその国や地域の歴史や文化や宗教意識によって形成され維持される。その「モーレス」が暗黙の「モーラル」を積み上げる。それこそが、この場合には、アメリカの「潜在的文化」であり、アメリカ社会を支えている「隠された価値」である。

次ページ民主主義は「真実」や「事実」とは無縁の政治である
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