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「フェイク」と「ポピュリズム」は民主主義の本質 「事実らしく見える価値」を人々は求めている

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  • 佐伯 啓思 京都大学こころの未来研究センター特任教授、京都大学名誉教授
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私がここで論じたいことはそういうことではない。ただの「ウソ」や「虚偽」と、ここで論じたい「フェイク」をまずは区別しておきたい。フェイクという観念が持っているもっと深刻な次元について論じてみたいのだ。

「フェイク」自体が「価値の捏造」である

私が考える「フェイク」は、すでに「事実」の次元から「価値」の次元に推移している。ささいな問題をあえてたいそうな問題へと捏造するというその行為そのものがフェイク・ニュースだということになろう。本当は価値の低いものをあたかもきわめて重要なものであるかのように持ち上げているからである。出来損ないの宝石を最高級品のように見せるのはフェイクであろう。そのこと自体が「価値の捏造」なのである。

例えば、新聞のようなマスメディアは、何をトップニュースに持ってくるかという選択をつねに行っている。仮に書かれた記事がすべて正確に出来事を反映しているとしても、その中の何を中心的に扱うかは価値の問題になる。

そして、あらゆるメディアはこの選択を行っている。だから、あらゆる報道は、決して中立ではありえないし、ただ客観的な事実だけの報道というものもありえない。報道には必ず特定の価値が付加されている。選ばれた事実が、すでに選ばれたという点で価値付加的なのである。

したがって、報道に客観的事実などというものはありえない。出来事と事実は違うのである。われわれは、事実を基本的にはメディアを通して知る。例えば、ある時刻にある場所である犯罪が起きた。これはひとつの出来事であるが、それを知って「事実」とみなすのは、あくまでメディアを通してである。誰も犯罪現場に居合わせたわけではない。

メディアの記者もそこにいたわけではない。だからメディアはつねに「編集」している。客観的事実などというものが存在しない、というのはそういう意味だ。私は、「フェイク」という、トランプが持ち出した言葉を、このような次元において捉えておきたいのである。

すぐにわかるような虚偽の報道や事実のでっちあげ報道もあるが、それは論外であって、いま論じているのはそういう種類のものではない。事実を報道しているはずが、それにもかかわらず、フェイクになりうる、ということなのだ。ところがそうだとすると、それは、ただトランプの言いがかりで済ますわけにはいかなくなる。

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【人々が求めるものは「事実らしく見える価値」】

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