山口達也への強烈すぎる批判が本質ではない訳 個人擁護の必要はないが要所が抜け落ちている
「元TOKIOの山口達也さんが酒気帯び運転で現行犯逮捕」という報道が大きな波紋を呼んでいます。
9月22日夕方から23日にかけてテレビの情報番組やワイドショーも、ネットのニュースサイトもトップ扱いで詳報。さらに、これを見た人々がネット上にさまざまな声を書き込んでいます。
なかでも気がかりなのは、山口さんに対する批判が必要以上に強烈なこと。「絶対にやらかすと思っていた」「芸能界どころか社会復帰も無理」「病院から出たらダメな人」「復帰してほしくないからちょうどよかった」「更生の余地などない」「坊主頭だから本当に犯罪者に見えた」などの厳しすぎる言葉が飛び交っているのです。
「飲酒によるトラブルが初めてではないこと」「アルコールはやめられなかったとしても運転はやめられたはずであること」を踏まえると、山口さん個人を擁護する必要性はないでしょう。しかし、これほどの強烈な批判は、声を挙げている人にとっても得策ではない理由と背景があるのです。
「アルコール依存症」と決めつける情報
まずこれほどの強烈な批判につながっている背景を挙げていきましょう。
前述したように多くのメディアがトップニュース扱いで、山口さんの追突事故と逮捕の様子を報じています。「午前9時30分ごろ、バイクを運転中に信号待ちをしていた車に追突。友人宅へ向かう予定だった」などの状況説明は問題ありません。
しかし、各局の情報番組やワイドショーは、「基準値の5倍となるアルコール分を検出」「二日酔いで酒が残っていた状態とは考えにくい(運転の直前まで飲んでいた)」などとセンセーショナルに打ち出し、重度のアルコール依存症と印象づけるような情報をたたみかけるように挙げていったのです。
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