菅原道真「怨霊から受験の神」に転身できた理由

藤原氏を恐怖のどん底に追いやった死者の凄み

「受験の神」「学問の神」として日本人に親しまれる菅原道真は、かつて怨霊として恐れられていた(写真:GRANGER.COM/アフロ)  
今では「受験・学問の神」として多くの学生たちに親しまれる菅原道真だが、それ以前は「怨霊」として多くの時の権力者たちから恐れられていた。いったいどういう経緯で、道真は怨霊から学問の神という大転身を果たしたのか? 歴史研究家の河合敦氏による新書『繰り返す日本史』より一部抜粋・再構成してお届けする。

菅原道真と聞くと、学問の神・天神と即答する人がいるだろう。でも当初は、貴族たちを恐怖に陥れた「怨霊」だった。

道真は、中級貴族の学者の家柄に生まれたが、宇多天皇に寵愛されて公卿にまで栄達した。宇多は、権勢を誇る藤原氏に対抗させるため道真を登用したとされ、息子の醍醐に譲位する際も「道真と藤原時平の助言を得て政治をしなさい」と訓じている。

このため道真は右大臣に就任できたが、こうした出世が貴族たちの反発を呼び、チャンスと見たライバルの藤原時平は「道真があなたを廃して娘婿の斉世親王(醍醐の弟)を即位させようと企んでいる」と醍醐天皇に讒言したのである。

有力者が次々に死ぬ「怨霊・道真の恐怖」

この言葉を信じた醍醐は、九州の大宰府へ道真を左遷。2年後、無念の涙をのみながら道真は死去した。それから5年後の908(延喜8)年、藤原菅根が雷にあたって死んだ。菅根は道真の弟子だったのに、師の失脚に加担した人物だった。

さらに翌年、道真を不幸に追いやったライバルの時平が、39歳の若さで急死した。この頃から洪水、長雨、干ばつ、伝染病など変異が毎年のように続くようになり、「道真が怨霊となり、祟りをなしているのではないか」と噂されるようになった。

923(延喜23)年、醍醐天皇の皇太子の保明親王が21歳の若さで亡くなる。保明は、藤原時平の妹・穏子が産んだ子だった。わずか2歳で皇太子となったのだが、即位することなく死去したのだ。醍醐天皇もこれは道真の祟りではないかと考えるようになり、周囲の勧めもあったのだろう、道真の大宰府行き(左遷)を命じた勅書を破棄し、その地位を右大臣に戻したうえ正二位を追贈した。

しかし新たに皇太子となった保明の子・慶頼王も、2年後に5歳で夭折する。慶頼の母の仁善子は時平の長女にあたった。醍醐天皇は落胆し懊悩したことだろう。

930(延長8)年、御所の清涼殿に雷が落ち、大納言の藤原清貫と右中弁の平希世が亡くなった。これに衝撃を受けた醍醐天皇は体調を崩し、皇太子の寛明親王(保明の弟)に皇位を譲り、その年のうちに崩御した。

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