菅原道真「怨霊から受験の神」に転身できた理由 藤原氏を恐怖のどん底に追いやった死者の凄み

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この道真の祟りについても、十数年前から教科書にも載るようになった。例えば高校日本史の『新日本史B』(桐原書店、2005年)には、菅原道真の怨霊の話が「菅原道真と天満宮─貴族の御霊神」と題するコラムとして掲載されている。

そこには、「時平一族の不幸が続くなど異変があいついでおこると、人々はそれを道真の霊魂のしわざだと信じた。なかでも宮中清涼殿に落雷して焼死者を出した事件は人々を恐怖させた」と記され、その場面を描写した『北野天神縁起絵巻』(京都北野天満宮)を載せ、キャプションに「廷臣4人が焼死。930(延長8)年の出来事。醍醐天皇の譲位・死去はこの衝撃によるという」と書かれている。

近年は、中学校の歴史教科書にも、道真の祟りを載せるところが多い。例えば『社会科 中学生の歴史』(帝国書院)には、半ページを使って大きく『北野天神縁起絵巻』(北野天満宮蔵)を載せ、キャプションとして「藤原氏によって大宰府に追いやられた菅原道真は、903年、無念のうちに亡くなりました。当時の人々はその霊が雷神となって都に戻り、藤原氏のいる清涼殿に雷を落としたと信じました」と記載されている。

さらに、道真の肖像を載せた「右大臣から学問の神様へ」というコラムを設け、「彼の死後、天変地異が続いたため、天神信仰発祥の地である北野天満宮にまつられ、今でも学問や芸能の神様として信仰されています」と記されているのだ。

菅原道真が「学問神」になれた経緯

なぜ怨霊化した道真が学問神になったのか、その経緯について解説しよう。

942(天慶5)年、平安京の右京七条二坊十三町に住む多治比文子(たじひのあやこ)に、道真の霊が乗り移る。文子に憑依した道真は自分を祀るように強く求めたという。

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そこで朝廷は、平安京内の右近馬場の地に北野天満宮を創建することを容認する。ちょうどこの時期、平将門の乱や藤原純友の乱などが続発しており、都の貴族たちは不安にさいなまれていたからだと思う。

北野天満宮は、学問の家柄である菅原一族が管理することになり、朝廷もこの神社を保護して勅祭の社にしたこともあり、繁栄するようになった。道真は生前、学問に優れていたことから、雷神という怨霊から詩文の神と意識されるようになり、鎌倉時代や室町時代になると、北野天満宮で歌合わせや連歌の会など文化的な行事が開催され、人々も学問や芸能の進展を願ってこの社に詣でるようになったのだ。

ちなみに北野天満宮のほか、太宰府天満宮、大阪天満宮、亀戸天神、湯島天神、防府天満宮など道真を祀る神社は1万2000社になるという。

人々は、雷神という祟る怨霊を神社に祀り上げることによって、学問神という福の神へと変化させたのである。

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